「いい音を身近に」(その17)
黒田先生の文章の中で、見落してほしくないのは、次の一節だ。
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シンガーズ・アンリミテッドの声は、パット・ウィリアムス編曲・指揮によるビッグ・バンドのひびきと、よくとけあっていた。「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」は、アップ・テンポで、軽快に演奏されていた。しかし、そのレコードできける音楽がどのようなものかは、すでに、普段つかっている、より大型の装置できいていたので、しっていた。にもかかわらず、これがとても不思議だったのだが、JBL4343できいたときには、あのようにきこえたものが、ここではこうきこえるといったような、つまり両者を比較してどうのこうのいうような気持になれなかった。だからといって、あれはあれ、これはこれとわりきっていたわけでもなかった。どうやらぼくは、あきらかに別の体験をしていると、最初から思いこんでいたようだった。
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「両者を比較してどうのこうのいうような気持になれなかった」とある。
ここが、「いい音を身近に」の「身近」であるということが、
どういうことなのかをはっきりとさせていってくれる、と私は感じた。
オーディオマニアの性として、どうしてもなにかと比較してしまう。
たとえばアンプを交換したら、やはり前のアンプとの音の差が気になるし、
いま使っているアンプ・メーカーから改良モデルが出たら、やっぱり気になる。
友人宅、知人宅で、愛聴盤を聴かせたりすると、
表には出さなくとも、頭の中でつい自分のところで鳴っている音と比較しているし、
帰宅後に、やはり自分の装置で、もういちど、その愛聴盤を聴いてみたりする経験はおありだろう。
製品とは関係のないところでも、システムを調整していくことは、いままで鳴っていた音との比較で、
ひとつひとつステップをあがっていくことでもある。
さらには自分の裡で思い描いている音(鳴り響いている音)と、現実に鳴っている音との比較があり、
どんなにオーディオ機器間の比較ということから解放された人ですら、これからは逃れられないはず。
なのに、黒田先生は、テクニクスのコンサイス・コンポを、ビクターの小型スピーカーと、
B&OのBeogram4000との組合せを、キャスターのついた白い台の上にのせた一式に対しては、
比較ということから──それは一時的なことだったか永続的なことだったのかわからないが──、
とにもかくにも忘れることができた、ということだ。
それは解放という言葉であらわされるものだったのか、無縁という言葉であらわされるものだったのかは、
考えていく必要はあるものの、
少なくとも「比較してどうのこうのいうような気持」がなかったことはたしかだし、大事なことだ。