Date: 8月 18th, 2022
Cate: 老い
Tags:

22年(その3)

昨晩、五味先生の、この文章も思い出した。
     *
 死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。
 そいつは初めから死馬である。幾らだってだから書ける。狂うことも、自殺することもないわけで、死馬ほど安楽な状態はあるまい。シューマンはその点、所詮、死馬に耐えられなかった。彼の作品は、悉く若い時代に為したもので、私に言わせればシューマンは音楽家よりは文学者になるべき人だったとおもう。彼の作品活動は、その良いものは三十二歳までだ。音楽に向っては、若い裡にしか流露しないそういう才能なのであり、あとの十余年は、死馬になった己れとの闘いだったろうと思う。ライン川への投身はその意味では、潔い行為で、精神錯乱と呼ぶのは死馬の輩だ。しかもシューマンには、しっぺ返しを喰うほどの才能の結実さえ(作品四一の弦楽四重奏曲、同四四のピアノ五重奏曲、それにピアノ四重奏曲を除いては)なかったと、私なら言う。少なくとも作曲上不可欠な構成力といったものが、彼には欠けていたのではなかったかと。
(「音楽に在る死」より)
     *
思い出したから、シューマンのピアノ五重奏曲を聴いた。
ボザール・トリオの演奏で聴いた。

1 Comment

  1. Hiroshi NoguchiHiroshi Noguchi  
    8月 23rd, 2022
    REPLY))

  2. シューベルトは梅毒でも死の2ヶ月前まで最高傑作を残せたのに、シューマンはそうでなかった。それにしてもピアノ五重奏、ボザールトリオで、というのは流石と思いました。小生はボザールトリオを初めて聴いたのは1995年になってからで、そのときカザルスホールで聞いた音に感激して、いくつかのCDを購入して聞きましたが、その当時555esd, カウンターポイントsa3.1, ラックスA3700、6CA7の3結自作、BC2では全く再現できませんでした。
    ちなみにボザールを聴かれたのは、TIDALかMQCでしょうか?
    sa3.1の絶縁板はただのボール紙で、開けて見て呆然とした記憶があります。流石にカルフォルニアです。

    1F

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]