background…(その9)
《ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう》と独白する
安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉にとっての音楽とは、
音楽というよりも、いわゆる道具なのかもしれない。
道具という認識が主人公〈ぼく〉のどこかにあるから、
無意識なのかもしれないが、自身のことを〈よき利用者〉とするのだろう。
ここでの道具は、大がかりな道具というよりも小道具なのかもしれない。
いくつもの小道具としての音楽を揃えておく。
小道具としての音楽だからこそ、
主人公〈ぼく〉は、音楽のよき鑑賞者ではない、というわけだ。
ここで考えたいのは、試聴ディスクのことである。
試聴ディスクは、オーディオ機器を比較試聴するための小道具といえないだろうか。
もちろんどんなレコード(録音物)でも試聴はできる。
けれど、よりよい試聴環境を整えるには、
試聴ディスクの選び方はおのずと、いいかげんではなくなる。
試聴も、オーディオ評論家がオーディオ雑誌の試聴で使うのと、
オーディオマニアで、あるオーディオ機器を購入するかどうか、
それを決めるための試聴で使うのとでは、ディスクの選び方も変ってくるところがある。
後者はほんとうに聴きたいディスク、好きなディスク、
つまり愛聴盤をそこでもってくるだろう。
けれど、試聴のためのディスクは、小道具になってしまわないだろうか。
そんなことはまったくない──、と言い切れる人もいる。
いわれてみればそうかもしれない……、となる人もいる。