Date: 4月 17th, 2022
Cate: 所有と存在, 欲する
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「芋粥」再読(その11)

安部公房の「他人の顔」が発表されたのは1964年。

バルトークは1945年に亡くなっている。
「他人の顔」の時代は、バルトークは現代音楽だったのか。

死後二十年ほど経っているのだから、もう現代音楽ではないんじゃないか──、
そういう受け止め方があるのはわかっているが、
「他人の顔」の〈ぼく〉は、レコード(録音物)で音楽を聴いている。

1963年に、ジュリアード弦楽四重奏団がバルトークの弦楽四重奏曲を録音している。
ジュリアード弦楽四重奏団は、その十八年後の1981年も録音している。

ジュリアード弦楽四重奏団の二つのバルトークを聴きくらべると、
そこから感じとれる気迫がずいぶん違って聴こえる。

1981年の録音は、1963年の録音よりも気迫が薄くなっている。
1963年のジュリアード弦楽四重奏団の演奏を聴いていると、
この時代、バルトークはまだ現代音楽だった、というふうに感じとってしまう。

同じ気迫を、私はアバドとポリーニによるバルトークのピアノ協奏曲にも感じる。
1977年の録音なのにもかかわらずだ。

そんなバルトークの聴き手である私は、〈ぼく〉の時代のころ、
バルトークは現代音楽であった、と思うわけだ。

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