Date: 10月 8th, 2021
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シフのベートーヴェン(その11)

五味先生が、「日本のベートーヴェン」でこう書かれているのを、
私は20代のころ、何度も読み返している。
     *
 ピアノ・ソナタのほかに、たとえば『ディアベリの主題による変奏曲』を音楽史上に比類ない名曲という人がある。私には分らない。比類ないのはやはり『ハンマークラヴィーア』と作品一一一だと私は思う。『ハンマークラヴィーア』といえば、いつか友人の令嬢(高校二年生)が温習会で弾くのに招待され、唖然とした。十代の小娘に、こともあろうに『ハンマークラヴィーア』が弾けるとおもう、そんなピアノ教師が日本にはいるのだ。技術の問題ではない。ベートーヴェンのソナタの中でも最も深遠なこの曲を、本当に、弾けるピアニストが日本に何人いると教師は思っているのだろう。だいたい日本の専門家には、レコードなど、ろくにきかない人が多いが、だからオーボエが何本ふえたなどと言っていられるのだろうが、そういうピアノ教師たちに教育ママは子供を習わせ、音楽的教養が身につくと思っている。あわれと言うも愚かで、済む問題ではない。ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタが女性に弾けるわけはない。晩年のベートーヴェンの歳になって、やっと、限られた、世界でも数人のピアニストがその心境を弾き得るだろう。そういう曲である。恐らく当の教師にだって満足に弾けはすまい。それが、こともあろうに発表会で少女に演奏させる。どういう神経なのか。こんな教師たちで日本の楽壇は構成され、ベートーヴェンが語られる。日本はその程度のまだ、水準でしかないのだろうか。
     *
《ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタが女性に弾けるわけはない》とある。
《晩年のベートーヴェンの歳になって、やっと、限られた、世界でも数人のピアニストがその心境を弾き得るだろう》
ともある。

そうだ、と私も思っている。
作品一一一の第二楽章を聴いていると、
五味先生が書かれていることを実感する。

極端な意見だ、という人がいてもいい。
私だって、少しはそう思うところもあるが、
それでもくり返すが、作品一一一の第二楽章だけでもいいから聴いてほしい。

聴けばわかるはずだ。
お前は、五味先生の文章に洗脳されすぎだ、といわれるだろう。

でもアニー・フィッシャーのベートーヴェンを聴いていると、
五味先生は、どういわれただろうか、と思ってしまう。

作品一一一の第二楽章。
ベートーヴェンの心境を描ききったと思えるピアニストは、
私にとっては、ほんとうに少ない。

そのなかの一人にアニー・フィッシャーは入っている、
アンドラーシュ・シフは入っていない。

1 Comment

  1. Hiroshi NoguchiHiroshi Noguchi  
    10月 9th, 2021
    REPLY))

  2. アニー・フィッシャーのべートーヴェンを聞いたのは35年ぐらい前になるでしょうか、重厚なしっかりとした響きで、感動させられました。
    昔のヒトでは安川加寿子、この人ベートーヴェンは滅多に録音は手に入りませんでしょうが、いつも立派で。
    近頃では内田光子、河村尚子といった日本人(尤も日本にはほとんどいませんが)の女性の演奏にも触れていただければと思います。
    小生の好きな日本人のベートヴェンの演奏は園田高広の二度目の録音で、これはピアノの音色も良くて聞きやすく感じます。ハンマークラヴィアもゼルキンやケンプに十分比肩できる以上のもので、シュナーベルや、ローゼルに繋がる演奏様式の真っ当な継承なのだと思います。ポリーニとか最近のレヴィットとは異なった往年の様式かも知れませんが。

    1F

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