ズザナ・ルージィチコヴァ(その3)
そういえば、あの、ちょっと憶えるのが難しい名前の人──、
そんなふうに思い出した。
Zuzana(ズザナ)だけは憶えていた。
これだけで、検索は可能だった。
けっこうな数のアルバムが表示される。
バッハがやはり多い。
黒田先生の文章の冒頭にも、
ズザナ・ルージィチコヴァのバッハのチェンバロの全集のことがある。
ほかにもいくつかあった。
そのなかで、なんとなくモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集を選んだ。
ヨセフ・スークとの協演である。
きいた瞬間に、ぐいぐいひきこまれる演奏ではない。
黒田先生は《誠実なルージィチコヴァ》と書かれている。
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴いていると、
黒田先生の文章をもういちど読みたくなって、だから、今回書いている。
黒田先生のズザナ・ルージィチコヴァの文章を読んでなかったら、
ズザナ・ルージィチコヴァを聴くことはなかったかもしれない。
思い出すこともなかっただろうし、TIDALがなければ、また聴きのがしていただろう。
ならば、もっと早く聴いておけば、と後悔しているかというと、
そうでもない。
三十年前は、いまほどズザナ・ルージィチコヴァのよさがわからなかったかもしれない。
出逢うべき演奏とは、いつかきっとそうなるようになっている──、
私はそう思っている、というより信じている。
黒田先生は、ズザナ・ルージィチコヴァと表記されているが、
いま日本ではズザナ・ルージチコヴァが一般的なようである。
そしてe-onkyoに、バッハ全集(Bach: The Complete Keyboard Works)がある。
MQA Studio(96kHz、24ビット)である。