「芋粥」再読(その7)
CDを買う理由は、そのディスクにおさめられている音楽を聴きたいからにほかならない。
すぐに聴きたいのか、
それともじっくり聴くための時間がとれるようになってからなのか、
どちらにしても、そこに収録されている音楽が目的のはずだ。
けれどCDボックスのいくつもに手を出す。
その結果、聴かずのディスクが100枚を超えている人を知っているし、
そのくらいの人は、クラシックを聴く人では、もう珍しくなっているようでもある。
2ちゃんねる(5ちゃんねる)には、
《未聴のCDの山を見て人生の残りを考える》というスレッドが、
ずっと続いていることからもうかがえる。
つまり飽和点に達している、もしくは近づいている人はけっこういる。
なのに、CDボックスをつい買ってしまう。
聴くのが目的であれば、いまではCDに頼る必要はない。
TIDALにすべてがあるとはいわないが、クラシックに限ってもかなりの曲数である。
聴くのが目的なら、おまえはなぜTIDALだけなのか、といわれるかもしれない。
いまではAmazon Music HD、mora qualitasが日本ではサービスを開始しているし、
海外にはQobuzがある。
それらのサービスは利用していない。
聴くのが目的ならば、それらのサービスも、と考える人もいるけれど、
私は、聴くのが目的だから、TIDALだけ、である。
選択肢を増やしすぎると、選択のためだけに時間を費やしてしまうからだ。