JUDY(その4)
越後獅子、
五味先生の「モーツァルトの《顔》」に出てくる「越後獅子」は、
映画の序盤で浮んできていた。
中盤以降は、ロンドン公演がおもに描かれている。
「JUDY」は、実話をベースとしたフィクションということになっている。
とはいえ、ほぼ実話なのだろう、とおもって観ていた。
ジュディ・ガーランドは、ロンドン公演が終って半年後に亡くなっている。
自殺ともいわれている、そうだ。
そういう状態のジュディ・ガーランドがみせるロンドン公演でのパフォーマンス、
それが成しえるのは、やはり越後獅子ゆえなのだと、どうしても思ってしまう。
もちろん才能があってのことなのは重々わかっている。
それでも映画が描かれるシーンは、越後獅子としての時代がなければ……、とおもってしまう。
映画を観る前に、レネー・ゼルウィガーの歌唱によるサウンドトラックを聴いていた。
このサウンドトラックの最後に、“Over The Rainbow”である。
映画を観ていると、“Over The Rainbow”が劇中で歌われるのは、
最後のシーンだな、と誰もが気づくだろう。
最後のシーンでうたわれる。
そして映画「JUDY」も終る。
映画で使われた“Over The Rainbow”と、
サウンドトラックの“Over The Rainbow”は、
どちらもレネー・ゼルウィガーが歌っているが、同じなわけではない。
なぜなのかは、ここで書いてしまうと、
これから観る人を怒らせてしまうことにもなるだろうから省く。
そごでどういうことが起るのかも、
映画をこれまで観続けてきた人ならば、想像の範囲のことだ。
それでも、このシーンは胸に響く。
しかも、このことは実際に起ったことだ、ときいている。
これをもって、ジュディ・ガーランドは、最後の最後で幸せだった、とはいわない。
越後獅子の最期のようにも、私の目には映った。