「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その9)
(その8)にfacebookにコメントがあった。
オーディオ評論、オーディオ・ジャーナリズムをいま信じている人はいるのでしょうか、
とあった。
私自身、菅野先生が亡くなられて、
オーディオ評論家(職能家)はいなくなった、と以前書いている。
オーディオ評論家(商売屋)ばかりになってしまった、と思っている。
私の周りの人たちも、そう思っている(感じている)人ばかり、ともいえる。
それでも、信じている人たちがいるのも知っている。
東京および近郊の人たちという限定された範囲ではあっても、
そういう人たちはいる。
これも私が知っている範囲のことでしかないが、
信じている人たちのほとんどは、いまオーディオ評論家を名乗っている人たちと、
SNSでつながっていたり、その人のリスニングルームに訪問したり、
なんらかのつながりがある人だ。
だからなのか、○○さんは違う、と彼らはいうことがある。
その○○さんのことは私だって直接知っていたりする。
○○さんは違う、という人たちが知らなくてもいいことを知っていたりする。
信じている、とは、だまされている、ということでもある。
だまされている、とは、あえて見ないようにしている、ということでもある。
私は、というと、信じていない側にいる、といえる。
それでもずっと昔に、ステレオサウンドを熱く読んでいた者として、
ひとかけらぐらいは残っていてほしい、とおもいを捨てきれずにいる。