好きという感情の表現(その1)
大久保に、spicy curry 魯珈(ろか)という店がある。
カレー店である。
私が、魯珈を知ったのは、たまたま前を通ったときで、開店してそう経っていない時だった。
この時は並ぶことなくすんなり食べられた。
でも、その直後にテレビで紹介されたようで、行列ができるようになった。
食べれば、行列ができるのも納得する。
二回目も、運が良かったのかすんなり食べられた。
でも三回目は行列(といってもそれほど長くはなかった)だった。
これが2017年のことだ。
2018年は一度も食べていない。
2018年1月に、テレビ番組の情熱大陸で店主が登場してからは、行列はすごくなった。
並ぶ気も失せるほどに長くなっていた。
2018年は一度も行っていないのでどうなのか知らないが、
2017年は、店主(女性)一人でやっていた。
店も狭い。大勢が一度に入れる店ではない。
期間限定のカレーもあるから、また行きたい(食べたい)と思っていても、
2019年も難しそうである。
魯珈のカレーは美味しい。
東京都内にどれだけのカレー店があるのか知らない。
魯珈と同じくらい美味しい店もあるだろうし、
魯珈も美味しい店かあっても不思議ではない。
それでも魯珈のカレーをまた食べたいとおもうのは、
食べてみればわかることなのだが、
店主のカレーが大好きという感情が伝わってくるようなところがあるからだ。
美味しいだけではない、
食べていて、変な表現だが嬉しくもなってくる。
これはなんだろう、なぜなんだろう、と思っていた。
ここで魯珈のことを書こうと一年くらい思っていた。