「ルードウィヒ・B」(1989年2月9日)
30年前の2月9日。
手塚治虫が亡くなった日。
私には、1989年1月7日よりも、昭和が終ったと感じた日であった。
そう感じた人は少なくないようである。
30年経つ。
あと三ヵ月たらずで平成も終る。
手塚治虫は自身のマンガについて、こう語っている。
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僕のマンガというのは教科書なんですよ。教科書というのは、読んでワクワクするほど面白いもんじゃないし、面白すぎても困るわけ。若い連中がそれに肉付けして、素晴らしい作品を作ってくれることが望ましい。
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小学生のころ、手塚治虫のマンガと出逢った。
ブラック・ジャックとも出逢った。
手塚治虫はすごい、と小学生ながら思っていた。
それでも、当時のマンガのいくつかが、手塚治虫のマンガよりも面白く感じられた。
そのことが癪だった。
手塚治虫のマンガより、それらのマンガのほうが人気があるのが癪だったわけではない。
私自身が、手塚治虫のマンガよりも、それらのマンガを面白く感じたことが癪だった。
スマートフォンが普及して、スマートフォンでマンガを読めるようになった。
手塚治虫のマンガも読める時代である。
少年チャンピオンに連載されていたブラック・ジャックは毎週買って読んでいた。
単行本も買って読んでいた。
四十年ほど経って、いまもブラック・ジャックを読んでいる。
ここにきて、手塚治虫のマンガが教科書という意味がわかる。
同時に、ブラック・ジャックというマンガのすごさがわかる。
手塚治虫のすごさがわかる。