マーラーの第九(Heart of Darkness・その10)
そういえば、私はテンシュテットのマーラーの九番を聴いていない。
六番を聴いたら、九番を聴いてみよう、といまごろ思っている。
テンシュテットのマーラーだけでなく、シノーポリのマーラーを、
ここに来てもう一度聴いておこう、とも思いはじめている。
私が20代のころ、シノーポリのマーラーの録音は始まった。
発売順に聴いていったが、途中でやめてしまった。
理由は、もうよく憶えていないが、感覚的についていけないと感じたことも大きい。
あのころはそう感じたたけれど、いまはどう感じるのか。
そういえばシノーポリの九番も、聴いていない。
なにもマーラーの九番の、私にとっての名盤を選びたいわけではない。
そんな気持はまったくない。
正直、ジュリーニ、カラヤン、バーンスタイン、それにアバド(1987年録音の方)があれば、
私には充分である。
あとあげるならばワルターの古い録音である。
熱心なマーラーの聴き手からすれば、ずぼらな聴き方をしてきている。
網羅的な聴き方をそれほどしてこなかった。
これからそんな聴き方をしようとも思っていない。
聴いてきたマーラーよりも聴いていないマーラーの方が多い。
いまCDは安い。
集めようと思えば、それほど負担なくけっこうな枚数になる。
でも、聴くのか。
持っておけばいつでも聴ける。そんな安心感はある。
でも、心のどこかで、そんな聴き方とマーラーの九番の世界とはそぐわない。
なにか違う聴き方のようにも感じなくはない。
怠惰な聴き方のいいわけかもしれない──、
と思わないわけではないが、それで誰からに迷惑をかけるわけでもない。
それでも、これまで聴いてこなかったマーラーの録音に、
いまになって気になっている演奏がある。