Date: 12月 29th, 2017
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ニュー・アトランティス(その2)

『「もの」に反映するジョンブル精神』の文章は、
私の記憶違いでなければ、Kさんである。

私よりかなり年上のKさんは、知識欲旺盛な人である。
こういうひとが、あの大学に行くのだな、と納得させられるほど、
あらゆる勉強を楽しまれている感じを、いつも受けていた。

しかもマンガもしっかり読まれている、というのが、私には嬉しかった。

「ニュー・アトランティス」について書かれた次のページには、こうある。
     *
シェークスピアの同時代人であるベーコンが音響工学に興味を持った理由を想像してみる。そこで、思いつくのは、この時代のロンドンのひとたちの演劇についての異常なまでの熱狂ぶりである。木造で、数千人を収容できる公衆劇場が、1600年当時、すくなくとも5つか6つ存在した、と推定されている。この店ではヨーロッパの他の都市にはくらべるものがなく、ロンドンをおとずれた外国人をおどろかせたという。この話を紹介しているフランセス・イエイツ(『世界劇場』藤田実訳・晶文社)は、これらの劇場が、いずれも〝古代ローマ人の方式にならった木造の〟劇場であったと述べている。〝これらの建物には屋根がなく、座席が階段状についた桟敷(ギャラリー)が、劇場のまんなかの上に開いた空間「中庭(ヤード)」を取り囲み、この中庭に開け放しの舞台(オープン・ステージ)がつき出ている。〟イギリスのルネッサンスは、劇場と演劇というかたちで、その独自の発現を見せたようである。その頂点に、私達は、あのウィリアム・シェークスピアの名を見ることができる、そう言ってよいだろう。数千人を収容できる公衆劇場が、PA装置もなく用いられるとしたら、これはどうしても音響工学と直面しなければならなくなってしまう。これらの劇場の下敷となったと思われる、古代ローマの建築家、ヴィトルヴィウスの著述のことをも、イエイツは指摘している。このヴィトルヴィウスは劇場の音響効果にも、すでに大きな関心をはらっていた。ヴィトルヴィウスの建築書を、歴史のなかから、ルネッサンスのヨーロッパに持ちこんだのはイタリア人だったが、それを、故大劇場の復活というかたちで、もっともよく生かしたのはイギリス人だった。それは、同時に、音響工学のルネッサンスでせあった。イギリス人は、その歴史を受け継いでいるのである。
     *
こうやって書き写していても、Kさんでなければ書けない文章だ、と思っていた。

同時に、農業革命は農場から、工業革命は工場から、
情報革命は劇場から、という川崎先生のことばも思い出していた。

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