モノと「モノ」(主従の契り・その2)
オーディオシステムは、
オーディオ機器を擬人化する人にとっても、いわば道具である。
使い手(鳴らし手)が主であり、
オーディオが従である、ように見えるし、そう思える。
けれど少し距離をとってみると、
オーディオは自ら起動することはできない。
使い手、つまり人間が電源を入れて、
LP、CD、テープをかけて、入力セレクターをあわせて、
レベルコントロールを上げる操作をしなければ、スピーカーから音は鳴ってこない。
見方をかえれば、オーディオが人間を使っている、ともいえる。
音をただ単に出すだけでも、これである。
よりよい音、つまりオーディオ機器がもてるポテンシャルを発揮するためには、
人間による使いこなし、鳴らし込みを必要とする。
スピーカーが勝手に、いい音で鳴るポジションまで移動して、
スピーカーの振りなども自動的にやってくれるわけではない。
ここでも使い手である人間が、大型スピーカーであれば、
動かすだけでも大変な重さにも関係なく、いい音のために設置場所を変えていく。
振りや仰角をミリ単位で調整したりするのも、人間の仕事である。
アンプにしても電源を入れてもらうだけでなく、
いわゆるウォームアップのために、
それも実際に音楽を鳴らす動的ウォームアップを求めているともいえる。
そういった人間の努力を、オーディオは眺めているのかもしれない。
その努力の褒美として、きまぐれにいい音を聴かせてくれているとしたら、
どちらが主なのかは、判然としない。