自己表現と仏像(その6)
十年前に初めて京都に行った。
帰る日の午前中にすこし時間の余裕があったので、東寺に行った。
時間つぶしのつもりだった。
せっかく来たのだから仏像を、と軽い気持だった。
仏像を見たことがなかったわけではないが、
東寺の仏像はそれまでのみてきた仏像の印象とはまるで違ってみえた。
圧倒された。
40すぎて、やっと仏像に興味を持つようになった。
興味をもったからといって、特に詳しいわけではない。
仏像、いいな、とおもう程度になったくらいでしかない。
いま仏像は静かなブームのようだ。
表参道にあるイスムは、繁盛している、ときいている。
友人のAさんも、ここで阿修羅像を買った、といっていた。
仏像のフィギュアも、いまでは珍しくない。
浅草の土産店でも、小さな仏像が売られている。
買いたい、と思うモノもある。
けれど、いまのところ、まだ買っていないのは、
仏像は、自分の手でつくるものではないか、と思うようになってきたからだ。