ハイ・フィデリティ再考(続・プログラムソースについて)
1948年に、アメリカ・コロムビアがマイクログルーヴ化したディスク、つまりLPを発表したとき、
マスコミに配布した写真を、レコードの歴史に多少なりとも関心の或る方なら、
どこかでご覧になったことがあると思う。
SPが堆くつまれた山(おそらく2mはゆうに越えている高さ)のとなりに、男性がひとり立っている。
彼は20枚くらいだろうか、LPを抱えている。
SPの山が、そっくり手に持てる量にまでコンパクト化された、ということだ。
SPもLPも、形としてはどちらも円盤であることに変りはないが、その姿は変ったいえよう。
そしてCDの登場。CDも円盤という形は同じで、Compact Discの名のとおり、
LPをさらにコンパクト化した。漆黒の円盤は虹色に時として輝く銀色の円盤へと、姿を変えた。
いまの光ディスク技術からすると、16ビット、44.1kHzのCDの規格であるならば、もっとコンパクトにできる。
円盤というモノである以上、やたら小さくしたら取扱い面での不都合が出てくるから、
円盤という形をとる以上、小さくなることは無く、DVDやSACDの登場にみられるように、
大容量化へと進んでいった。
SPからLP、LPからCDへの姿の変化(コンパクト化)からいえば、
円盤という姿そのものをなくす方向に進むのは、当然のことと、私は思っている。
プログラムソースの姿と形、
プログラムソースの変化・進化・純化、と考えていったとき、
純粋なかたちとしてのプログラムソースが、見えてくる、はずだ。