老いとオーディオ(齢を実感するとき・その4)
ポリーニのバッハの平均律クラヴィーアは、もう聴くことはないだろう。
誰かのリスニングルームで聴くこと(かけられること)はあるかもしれないが、
自分のシステムでかけることはない、といえる。
ポリーニのバッハの平均律クラヴィーアにがっかりした。
がっかりするとともに、アルゲリッチはなぜ、バッハを積極的に演奏しないのか、と思う。
アルゲリッチのバッハは、ドイツ・グラモフォンから出ている。
トッカータ ハ短調BWV911、パルティータ 第二番、イギリス組曲 第二番。
ハタチになったばかりのころ聴いた。
そのあとも思い出しては、ひっぱり出して聴く。
パルティータは素晴らしい、と三十年ほど経っても、そう思う。
何に書かれていたのか、正確に思い出せないが、
五味先生はアルゲリッチ(アルヘリッチと表記されていた)の音色に、
少しばか否定的なことを書かれていた。
そういうところはあると感じても、アルゲリッチの演奏には、
他のピアニストの演奏からは感じとりにくい輝きがあって、
バッハのパルティータは、まさにそうである。
アルゲリッチのバッハを聴いた時から、
いつかはバッハをもっと録音してくれる、と信じていた。
全集の完成にはあまり関心はないようだが、それでもいつの日か……、と。
平均律クラヴィーアを残してほしい、と思い続けてきた。
可能性は少ない。
それでもポリーニの平均律クラヴィーアを聴いて、ますます切望するようになった。
アルゲリッチの平均律クラヴィーアが聴ける日は来るのだろうか。