Date: 4月 13th, 2017
Cate: 再生音
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実写映画を望む気持と再生音(その3)

観たい映画があっても、昔と違い、いまは場合によっては選ばなくてはならない。
字幕なのか吹替えなのか。
映画によっては3Dにするのかどうか。

さらにはドルビーアトモスを選べるものもあるし、
IMAX、MX4Dまである場合も。

昔のように2D、字幕しか選択肢がなかった時代とは違う。

GHOST IN THE SHELL」には、
字幕、吹替えがあって、2Dと3D、さらに3DはIMAX、MX4Dがあって、
当然、料金は違ってきて、3D、MX4Dでは三千円をこえる。

シネコンでは、時間帯によって、どれを上映しているかが加わる。
結局、IMAXの3D、字幕版の「GHOST IN THE SHELL」を観た。

IMAXの3Dは、今回が初めての体験である。
今日まで3D用のメガネが、通常の3DとIMAXとでは違うことも知らなかった。

私はどちらかといえば前寄りの席で観る。
今日は前から五列目。
入って、スクリーンの大きさからすると、前過ぎたかな、と思った。
シネコンだから席は、もう変えられない。

でも、このくらい前で良かった。

「GHOST IN THE SHELL」の映画としての出来が格段優れているとはいわない。
それでも、この映画は、再生音について考えさせられる。

再生音といっても映画館の音についてではなく、
オーディオの再生音についてである。
その再生音の官能性ということについて、である。

スカーレット・ヨハンソン演じる少佐が映るたびに、
映画のテクノロジーがここまで進化したことによる官能性の描写を感じていた。

これまでも映画の中に官能性といったことを感じなかったわけではない。
でも今回の「GHOST IN THE SHELL」で感じた官能性は、
これまでの映画(つまり映画の基本フォーマット、2Dでの上映)では再現できない──、
そう思わせる類の官能性である。

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