想像つかないこともある、ということ(その9)
井上先生も2000年12月に亡くなられているから、もう確かめようはないが、
1977年以降のステレオサウンド別冊での組合せ例は、
岩崎先生の不在によって、大きくあいてしまった「空間」を、なんとかしようとされていたようにも、
いまになって思うのだ。
もっと早くに気づいていれば、直接井上先生に訊けたけれど、
でも井上先生のことだから、そうであったとしても、「そうだよ」とは言われなかっただろう。
若いうちは、こんなことはまったく想像できなかった。
けれど、いまはそうかもしれない、と気づく。
だから、あとどのくらいなのかはわからないが、
生きていれば、岩崎先生の音量についても、想像できるようになるかもしれない。
ステレオサウンド 130号の「レコード演奏家訪問」で、
菅野先生は上杉先生のリスニングルームを訪問されている。
記事の終りにある「訪問を終えて」に、こうある。
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たとえば、いまは亡き岩崎千明君の音に、僕はうまれてはじめて目から火が出る体験をいたしました。しかし、あの凄まじい大音量再生の攻撃的世界からも、デリカシーとしなやかさはじゅうぶんに感じとれたわけですね。世界には、森も草原も砂漠も海もあります。上杉さんは、おだやかな草原に、岩崎君は、嵐の海に生きられても、それぞれの世界に、優しさもあれば荒々しさもあることを汲み取っていただき、訪問記を読んでほしいものだと思います。
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「訪問を終えて」は菅野先生の書き原稿ではなく、話されたことを編集部の誰かかがまとめたものだろう。
些細なことだが、ひっかるところがある。
岩崎千明君、となっているところだ。
上杉先生のことはさん付けで呼ばれている。
なのに岩崎先生のことは君付けである。
菅野先生より上杉先生は若い。
岩崎先生は菅野先生よりも四つ上である。
菅野先生から岩崎先生の話は何度か聞いている。
菅野先生は岩崎さん、とたいていはそう呼ばれていたし、
時折、千明さん、でもあった。
千明さんは、ちあきさん、ではなく、せんめいさんである。
補足しておく。
岩崎千明は「いわさきちあき」である。
千明を「せんめい」と読んでいたのは、
岩崎先生と親しかった方たちである。