Date: 1月 4th, 2017
Cate: オプティマムレンジ
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オプティマムレンジ考(その12)

バベルの塔という喩えは、必ずしも否定的な意味合いで使っているのではない。
録音の現場では、バベルの塔であるべきだと考えている。

安定しているのであれば、その高みを増していってほしい。
録音の場で演奏された音を、細大漏らさず信号として変換してほしい。
それを記録する器がバベルの塔なのだから。

けれどバベルの塔を、そのまま再生の場に持ち込むことには否定的である。
こうやって書いていて意識するのは、
私が主に聴くのはクラシックであり、オーケストラの再生のことを常に考えているということ。

演奏している人たちが数人のものであれば、
録音側のバベルの塔をそのまま再生の場にもってきても、
大きな問題は発生しないだろうし、最良の結果を生む可能性もある。

つまり録音の場と再生の場の空間の大きさが同等か、
もしくは再生の場の空間が広いか、の場合においてではある。

それですら、録音時と再生時の音量が同じという条件がついてくる。

そういえば……、と気づくのは、
インターナショナルオーディオショウでも、あまりオーケストラものがかけられなくなった気もする。
私がたまたまオーケストラものがかかっていないときに、
それぞれのブースにいただけなのかもしれないと思いつつも、
やっぱり減ってきていると思っている。

オーケストラが演奏する(録音される)空間と、
再生の場の空間の大きさは違いすぎる。

世界一の資産家で、ホールと同等のリスニングルームが持てるとしても、
そういうところでひとり音楽を聴きたいだろうか。

そこではオーケストラ録音のバベルの塔が、
そのままバベルの塔として再生されたとしても、だ。

オーディオマニアとして一度は好奇心から聴いてみたい。
が、個人の音楽鑑賞としての場からは遠くなりすぎる、という感覚である。

感覚だから人によって違う。
そういうホールのような広い空間でひとりで聴きたい人もいるだろうが、
私はごめんだ。

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