オーディオ機器を選ぶということ(結婚にあてはめれば……・その3)
思い出すから書くのか、
書くから思い出すのか。
たぶん両方なのだろうが、結婚とオーディオということで思い出したことがある。
スイングジャーナル1972年1月号掲載の座談会「オーディオの道はすべてに通ず!」だ。
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菅野 この間、だれかさんの原稿の穴埋めに急拠「オーディオロジー」の原稿を書かされたんだよ(笑)。そこでぼくは錯覚という言葉を使った。
瀬川 イリュージョンだね。
菅野 錯覚というのは無限の飛翔というか、可能性というか、高まりをもつものだ。これがもっとも大切なものであると書いたわけです。
つまり、恋愛というものは、精神と感情と肉体の無限の飛翔である。一方結婚は現実の生活である。その恋愛の目的を結婚に置くということは、極めて次元の高いものの目的を次元の低い現実に置くことなので、元来矛盾しているものなのだ、というように展開したわけ。その恋愛というものもやはりイリュージョンなのだよね。イリュージョンなるがゆえに、無限に心の高まりを感じるわけだ。
瀬川 そう、イリュージョンだから美しいんですよ。確かに結婚というものが現実的なものであることは事実なのだけれど、結婚の中での一つの虚構、あるいは錯覚みたいなものを持続させることもできるんだ。だから結婚の中でも結婚以外のものに、逃避であろうと、なんかの一つの理想であろうと、結婚を回避してそっちへ行こうということだけがすべてでないと思うんだ。
菅野 もちろんそうです。
瀬川 もっとそのさきの大事なことは、この世の中で現実に起ることよりも、そういう錯覚の中、あるいはフィクションの中で感じる一つの幻想、イリュージョンの方が人間にとって実感をもっている。いや実感というより人間にとって大切じゃないかと思うんだ。
菅野 そう大切なものですよ。
瀬川 現実というのは、いろんな制約の中での現実なんだよ。つまりさまざまな社会的制約の中でなり立っている。しかし、その中での錯覚というのは、現実の壁を乗り越えた強さをもっている。それが人間にとって人間を味わう、あるいは生きがいというか、ものを味わうための一番大切な何かだな。
菅野 それはあなたがいい奥さんをもっているからいえるんだよ。ぼくはそうじゃなくて、結婚はあくまで現実のものなんだよ。イリュージョンを追いかけて行くから失望するんだ。つまり結婚というものは、恋愛にもない、親子の愛でもない、友情でもない、夫婦愛というものの生まれる可能性のある一つの生活様式なんであると思っている。だからわずかの月日で築けるものではない。
なぜ、ぼくはここまでいうかというと、つまりオーディオというような趣味のものはイリュージョンですね。そこでぼくもいったことなんだけれども現実の問題でイリュージョンというものによって解決しようとすると、オッチョコチョイにも、趣味を仕事にしようとする者が出てくるんだ。趣味と仕事を合わせるとこのイリュージョンを結婚生活の中へもち込むこともむずかしさがある。趣味というものもこれが仕事になったときには現実になる。
それじゃわが輩のように仕事にした人間はどうなるのかと。しかしわが輩としては仕事にしたからっといって、趣味というものの次元を低めることはできない。やはり高い趣味の次元をもち続けていかなければならない。そのために、結婚しても女性嫌いにはなれずにね(笑)。つまり仕事と同時にそれを趣味としてイリュージョンの世界に遊ぶだけの余裕をもつべく、涙ぐましい努力をして行くんだ(笑)。
瀬川 前半は不足ない、途中でちょっと異論があって、結論でまた一致したんだよ。途中だけちょっと菅野さんの方法論が違っていただけで、本人がやっていることは仕事ではそれなんだ。
菅野 もちろん認めるけれど、それはたいへんなんだよ。
瀬川 そう二つの至難がある。一つは魔法をかけるに値する石ころを見つけるというむずかしさ、もう一つは手に入れた石ころに常に魔法をかけておくというむずかしさ、この二つのむずかしさを乗りこえたときの至福の喜びというものは何にもたとえられないものなのですよ。
菅野 もちろん、それは理想論としてわかるんですが、なにせ結婚の相手というのは人間ですからな(笑)。
瀬川 さっきからいっているように結婚にたとえるから話が現実的になっちゃうんで、オーディオ・パーツでもいいよ。スピーカーに限ろう。
菅野 いや、スピーカーに限ったら、話はあなたと同じだよ(笑)。
瀬川 スピーカーも女も生活なんだ。
岩崎 たいへん幸せなんでうらやましいです。スピーカーと同じような女房をもらえればこれはいいよね(笑)。
菅野 だからスピーカーにたとえるとあなたと全く同じ考え方だ。スピーカーというものは魔法がかけられるよ。
瀬川 おれはそれを私生活でもやりたいというおめでたい希望があるんだ。
菅野 それはあなたがむずかしい問題に直面していないんだよ。女性をスピーカーにたとえられるというのは幸せというか……。
瀬川 おめでたいのかな(笑)。パーツを愛情をもって使いこなせというのは、本質論で、前提があるわけ。
菅野 それは直感だよね。
瀬川 そう、それだからこそ、さっきから子供の石ころにこだわるわけよ。無心の世界に遊んでいるときの子供の純粋な行動、大人の趣味の世界、ここにあって直感を働かさなくては、人間というのはダメなのですよ。
菅野 われわれも、年の改まった今、いま一度童心を思い起して直感を冴えさせおきたいものですね。
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この岩崎千明、菅野沖彦、瀬川冬樹による鼎談は、
菅野先生のこんな発言で始まる。
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菅野 われわれのように、いわゆる道楽者が音の話をしていると、よく他の話に取違えられるんだね。この前も、こちらは音の話をしていたのに、バーの女の子がゲラゲラ笑っているんだよ。何を笑っているのかと思ったら、始めから終りまで猥談だと思っていたというんだね。まあ、その道の話というのは必ずすべての道に通じる話になるわけで、逆にそうでなければ、核心をついた話ではないよね。
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たしかにそうかもしれない。