2016年ショウ雑感(その13)
テクニクスはヤマハの調音パネルを使っていた。
他社製のパネルを使うのは悪いことではないし、
テクニクスではこの手の製品を出していないのだから、堂々と使えばいいのに、
パネルの上に垂れ幕をして隠している(ように見受けられた)。
他社製であってもいいモノは認めて使う、という姿勢はないのだろうか。
私がステレオサウンドにいたころ、
テクニクスの製品を借りるときには広告代理店に連絡していた。
テクニクスが大阪の会社ということも関係していたはずだ。
私がテクニクスの社員の方たちに会ったのは一回だけである。
1988年秋だった。
大型の平面スピーカーシステムSB-AFP100が試聴室に持ち込まれたときだった。
井上先生の試聴だった。日曜日でもあった。
私一人が出社した。
テクニクスの方たちは三人ぐらい来られた、と記憶している。
この時、感心した。
会社員として、他のオーディオメーカーの人たちとはあきらかに違う。
もちろんいい意味でだ。
1988年だから松下幸之助氏は健在だった。
社員教育が違う──、そんな理由から来ることだとは思えなかった。
もっと大事なところからくる違いのようにも感じられた。
試聴のあとに、食事ということになった。
私はステレオサウンドの社員ということでことわった。
井上先生とテクニクスの方たちだけでの食事の方がいい、とも思ったことも、
ことわった理由のひとつだ。
それでも、ぜひ、といわれて行くことになった。
そのころの私は、ほんとうに若造だった。
でも、そんな若造の話も、井上先生の話と同じようにきちんと彼らは耳を傾けてくれた。
勉強熱心とでもいおうか、あからさまではないが貪欲さのようなものがあり、
吸収できるものはなんでも……、という感じだったのか。
彼らには松下幸之助のもとで働いているという自負があったようにも思う。
あれから28年経つ。
あの人たちはどうされているんだろうか……、そんなことも今日おもってしまった。