マーラーの第九(Heart of Darkness・その2)
長いといえば、ブルックナーの交響曲も長い。
こんなことを書いたら、ブルックナーの熱心な聴き手の方から、
お前はブルックナーがわかっていない、お前の理解できないところに良さがある、
などといわれそうだが、私はブルックナーを長いと感じてしまう。
五味先生の表現を借りれば、水増ししていると感じる。
だから長いと感じてしまう。
歳をとれば感じ方も変ってくるのか、と思っていたけれど、
50を過ぎたいまもそう感じてしまう。
私は、ブルックナーのほんとうの良さを味わうことなく終ってしまうかもしれない。
でも、そのことに何かを感じている、というわけではない。
そういう音楽の聴き方をしてきた結果であるし、
むしろブルックナーを長いと感じてしまうことに関心がある。
知人にカラヤンのブルックナーを絶賛する男がいる。
でも彼はマーラーをほとんど聴かない。
カラヤンにはベルリンフィルハーモニーとの1982年のライヴ録音のマーラーの第九が残っている。
カラヤンは’79年から’80年にかけてドイツ・グラモフォンにスタジオ録音している。
にも関わらず、わずかの間に、ドイツ・グラモフォンから、マーラーの第九が登場した。
スタジオ録音とライヴ録音の違いはあるにしても、
これだけの大作のレコードをわずかの期間のあいだにリリースしたということは、
それだけの演奏だということであり、カラヤンの1982年のマーラーの第九は、
カラヤンに対して否定的なところをもつ聴き手であっても、黙らせてしまうであろう。
カラヤンの残したもののなかでも、屈指の名盤であると思っているし、
多くのカラヤンの熱心な聴き手がそうであるとも思っていた。
知人はカラヤンの熱心な聴き手である。
にも関わらず、彼の口から、このマーラーの第九については、まったく出てこなかった。