Date: 8月 2nd, 2016
Cate: ステレオサウンド
Tags:

ステレオサウンドについて(その48)

岩崎先生の、
「オーディオはもう駄目だね。救いようがないよ。ボクにも責任はあるんだけどさ、誰かがちょっとぐらいがんばったってどうなるもんでもないぐらい駄目だ」
が私にとって、すごく意外に感じられたのには、いくつか理由があって、
そのひとつがステレオサウンド 43号に載った瀬川先生の文章だ。
     *
 亡くなられる数ヵ月まえ、スイングジャーナル社の主催で、新宿のサンスイのショールームで、菅野氏と三人で、公開座談会に出席したのが、岩崎さんとオーディオについて語り合った最後だった。すでに闘病生活中で、そのときさえ病院から抜け出してこられたのだった。そのときの内容はSJ誌にすでに載っているが、活字にならなかったことで深い感銘を受けた言葉がいくつもあった。岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さな音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」
 岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。
     *
「亡くなられる数ヵ月まえ」は、
おそらく池上比沙之氏に六本木でばったり岩崎先生と会われた日よりも後ではないだろうか。

オーディオはもう駄目、救いようがない、と言っていた人が、
入院先の病院から抜けだして公開座談会に出席されている。

同じページに長島先生が書かれている。
     *
 岩崎千明さんについて忘れることができない思い出がある。岩崎さんが最後の入院をされる直前のこと、今から考えると岩崎さんの病状は悪化の一途をたどっておられたのだが、それをひた隠しに隠してある雑誌のふたつの座談会に出席されたことがある。ところが最初の座談会の進行と共に岩崎さんの病状もどんどん悪化し、終りごろには動くことさえできない状態になってしまっていた。もちろん出席者一同も心配し、入院するよう説得するのだが、岩崎さんは頑としてきかない。そして、次の座談会にも出席すると言ってきかない。結局は一同の説得に負けて入院なさったのだが、その時の様子は正に鬼気せまるものがあった。後から考えれば、自らの死期を悟り、生ある束の間を惜しんで思いのままの全部を語り尽くしたかったに違いない。生命を賭ける、とは良く言われる言葉だが、岩崎さんの場合、文字通り本当に生命と引替えに音楽とオーディオを愛したのだ。惜しい人を亡くしてしまった。
     *
岩崎先生が、オーディオはもう駄目、救いようがない、といわれていたことが、
だからすぐには結びつかなかった。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]