Date: 8月 2nd, 2016
Cate: ステレオサウンド
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ステレオサウンドについて(その49)

岩崎先生は、なぜそこまで……、私などはおもってしまうのだが、
私とまったく別の人ならば、オーディオ評論家といえば自由業、
いわば虚業であるわけだから、以来のあった仕事は何でも受けるだけだろう、
依頼をことわったり、キャンセルしたりすればお金にはならない、
理由はなんて、そんなところにあるだろうに……、と。

でも、それだけで、ここまでされるだろうか、と思う。
少し長い目で見ればきちんと治療・療養したあとに精を出せばいい、ということになるだろうが、
そんなことは百も承知での、座談会への出席だったはずだ。

長島先生は、
《後から考えれば、自らの死期を悟り、生ある束の間を惜しんで思いのままの全部を語り尽くしたかったに違いない》
と書かれている。
そうだったのだと思う。

こういう岩崎千明が、瀬川冬樹をライバルとしていたわけだ。
以前も書いているが、このふたりは互いに認めあった真のライバル同士である。

そのことに気づいて、もう一度ステレオサウンド 50号、巻頭座談会の瀬川先生の発言を読む。
《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには》
ここには、岩崎千明という存在がなくなってしまったことを、暗に語られているようにも思えてくる。

50号の巻頭座談会には,岩崎先生はいないのだ。

瀬川先生の発言には、まだ理由があると考える。
ステレオサウンドは季刊誌だから年に四冊しか出ない。
50号の前の49号はSTATE OF THE ART賞、
50号は創刊50号記念の特集、その次に出る51号はベストバイが予定されていた。

つまり49、50、51号と試聴を行わない特集が続いている(続く)わけだ。
一年に四冊しかでないステレオサウンドなのに。
このことに対する危惧も、「熱っぽく読んでもらうためには」に込められている、と私は読む。

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