アンチテーゼとしての「音」(その1)
ときどき無性に聴きたくなるものが、私にはいくつかある。
そのひとつが、シェフィールドのダイレクトカッティング盤である。
1970年代後半、レコード会社各社からダイレクトカッティング盤が登場していた。
ほとんどすべてがオーディオマニア向けといってもよかった。
ダイレクトカッティングは演奏者にプレッシャー与えすぎるという理由で、
否定的なところもあったけれど、
うまくいったダイレクトカッティング盤の音は、たまらないものがある。
私の中では、ダイレクトカッティング盤といえば、
やはりシェフィールドのダイレクトカッティング盤である。
各社のダイレクトカッティング盤をすべて聴いているわけではない。
むしろ聴いていない数の方が多い。
そういう偏った聴き方の中での評価でしかないけれど、
シェフィールドのダイレクトカッティング盤の音は、
ダイレクトカッティング盤らしい音がしていた、と思う。
こんな説明ではダイレクトカッティング盤を聴いた経験のない人にはまったく通用しないのはわかっている。
でも、ダイレクトカッティング盤をうまく鳴らした音を聴いた人ならば、納得されるだろう。
たとえば音のふくらみ、というか、音量が増していくときのフワッとした自然さは見事だった。
シェフィールドのダイレクトカッティング盤は高かった。
6000円していたし、クラシックに関しては6500円だった。
買いたい、と思いながらも、結局一枚も買えなかった。
でも意外にもシェフィールドのダイレクトカッティング盤は聴く機会があった。
いまごろ、やっぱりどれか一枚買っておけばよかったなぁ、と後悔しているわけだが、
それよりも、なぜこうもシェフィールドのダイレクトカッティング盤を聴きたい、と思うようになってきたかだ。