Date: 8月 17th, 2015
Cate: ナロウレンジ
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ナロウレンジ考(その18)

歌に関することで、菅野先生から聞いた話を思いだす。
同じことを「物理特性と音楽的感動」でも書かれているので、そこから引用しておく。
     *
久しぶりに森進一のLPを買った。これは二枚組みで、いままでのヒットを全部集めたレコードなのだが、歌謡曲のレコードということで、気楽に弟の部屋へ持っていった。私の弟も森進一が好きなものだから、一緒に聴いたのだ。弟の部屋には、値段にすれば大体二〇万円台のコンポーネント・システムがあり、そこで二枚のLPを全部聴いたが、それなりにたいへん楽しく、森進一の歌のあるものには感動さえしたのだが、弟が「これは兄貴の部屋のあの再生装置で聴いてみたいな」と言いだしたのであった。私はそのときには「いや、こういうものはむしろこの再生装置でもよすぎるぐらいで、カセットにでもダビングして、車の中で聴くぐらいがちょうどいいんじやないか」なんていう悪口をたたいたわけだが、まあ、とにかく一度聴いてみようということで私の部屋へ行き、大きなハイファイ・システムでそのレコードを聴いたところ、驚いた事に、弟の部屋で聴いた時とまったく違った音楽的印象を受けたのである。
 まずどういうふうに違ったか。過去五、六年の間に森進一が録音したほかのヒット集も聴いてみたが、私の装置で聴いてみたら、はっきりと録音の新旧がわかった。弟の部屋では、よくこれだけ音色が、古い録音も新しい録音もそろっているなと、思うくらい音の変化はなかったわけだが、私の装置で聴いたときにはもうこれがガラガラと変化をする。そして録音のいいものはよりよく聴こえて、非常に素晴らしい音楽的な盛り上がりを感じたのだが、もっと重要な発見をしたのである。それは森進一の才能の豊かさを証明することにもなると思うが、彼は声のビブラートを伴奏に合わせて、バックのオーケストラの中にあるリズム・セクションがシャッフルをきざむときにはそのように、ちゃんとリズムに合わせてビブラートを変えているということ。例えば、マラカスのきざむリズムにピタッと合わせたビブラートがつくりだすその感動の素晴らしさ、盛り上がりというのはたいへんなもので、そういうものが装置が違ってより効果的に大きく聴こえたという体験をして、やはり再生装置というものは非常に重要なものなんだなということをあらためて考えさせられたわけだ。
     *
森進一の歌のうまさを、菅野先生は力説されていた。
上の文章にも書かれてあるように、ヴィブラートを伴奏に合せて変えている。
いわゆるシスコンと呼ばれる装置で聴いていたときには気づかなかったことを、
自身のシステムで聴かれて発見されている。

シスコンよりも手軽なラジカセやラジオ、テレビで聴いても森進一の歌のうまさはわかる。
それでも、よりよいシステムで聴けば、さらに森進一の歌のうまさのすごさがわかってくる。

美空ひばりがアルテックのA7を指して、
「このスピーカーから私の声がしている」といったのは、こういうことなのではないのか。

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