ナロウレンジ考(その17)
声(歌)について思い出すことは、もうひとつある。
これもここに引用しておきたいことである。
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D130が私に残してくれたものは、ジャズを聴く心の窓を開いてくれたことであった。特にそれも、歌とソロとを楽しめるようになったことだ。
もともと、アルテック・ランシングとして44年から4年間、アルテックにあってスピーカーを設計したジェイムズ・B・ランシングは、映画音響の基本的な目的たる「会話」つまり「声」の再現性を重視したに違いないし、その特長は、目的は変わっても自ら始めた家庭用高級システムとハイファイ・スピーカーの根本に確立されていたのだろう。
JBLの、特にD130や130Aのサウンドはバランス的にいって200Hzから900Hzにいたるなだらかな盛り上がりによって象徴され予測されるように、特に声の再現性という点では抜群で、充実していた。
ビリー・ホリディの最初のアルバムを中心とした「レディ・ディ」はSP特有の極端なナロウ・レンジだが、その歌の間近に迫る点で、JBL以外では例え英国製品でもまったく歌にならなかったといえる。
JBLによって、ビリー・ホリディは、私の、ただ一枚のレコードとなり得た、そして、そのあとの、自分自身の空白な一期間において、折にふれビリー・ホリディは、というより「レディ・ディ」は、私の深く果てしなく落ち込む心を、ほんのひとときでも引き戻してくれたのだった。
AR−2は、確かに、小さい箱からは想像できないほどに低音を響かせたし、二つの10cmの高音用は輝かしく、現在のAR−2から考えられぬくらいに力強いが、歌は奥に引込んで前には出てこず、もどかしく、「レディ・ディ」のビリーは雑音にうずもれてしまった。JBLを失なってその翌々年、幸運にも山水がJBLを売り出した。
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D130の文字から、誰の書かれたものか、すぐにわかるはずだ。
岩崎先生の「私とJBLの物語」からの引用である。
D130は15インチ口径のフルレンジユニットである。
センターキャップをアルミドームとすることで高域の延びを改善しようとしたところで、
それほど延びているわけではない。
「私とJBLの物語」で岩崎先生も指摘されているように、
D130の高域は5kHzぐらいまでで、8kHz以上ではさらに大きく減衰している。
低域に関しても口径の大きさの割に下のほうまで延びているわけではない。
はっきりとナロウレンジのスピーカーである。
でもそのナロウレンジのスピーカーが、上も下も周波数レンジ的には延びているAR2よりも、
ビリー・ホリディの歌を、間近に迫る点でD130がはるかに優っている。
この「間近に迫る」は歌が奥に引き込まず前に出てくるという意味だけではないようにも受けとれる。
聴き手の心の間近に迫ってくるように鳴ってくれたようにも、私には読める。