舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その12)
舌読は、舌で書物を読むこと、つまり舌による読書である。
読書とは本(書物)を読むことなのだが、
読書は読(み)書(き)であるとも読めないことはない。
舌読という言葉を知って思ったのはそのことだ。
読書とは、書物を読み、なにかを己の裡(心)に書くことである、と。
書くとは掻くであり、傷つけてしるす意だということも知った。
読書とオーディオを介してレコード(録音物)を聴く行為はまったく同じとはいえないまでも、
非常に似ているともいえる。
ならばオーディオを介してレコード(録音物)を聴く行為は、
書物を読むのが読書であるから、録音物を聴くは、聴録となるのだろうか。
あまりいい造語ではないのはわかっている。
それでも、聴録という言葉を使うのは、
オーディオを介してレコード(録音物)を聴く行為は、聴(き)録(る)であるからだ。