2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その4)
別項でふれているMAC POWERというMac関係の月刊誌。
MAC POWERはあるときから編集者が誌面に積極的に登場するようになっていった。
ステレオサウンドの、編集者は黒子であれ、とはまさに正反対の編集方針であり、
そのこともMAC POWERを面白く感じる理由になっていたように思う。
MAC POWERでは筆者の記事よりも、編集者の記事の方が興味深いことも少なくなかった。
そのことは編集部も感じていたのかもしれない。
おそらく筆者も感じていたことだろう。
そうやって本が面白くなっていく。
けっこうなことだと思うし、そういう編集方針をオーディオ雑誌に取り入れたら、とも想像していた。
MAC POWERと似たようなことはステレオが以前からやってはいた。
編集部による実験的な試聴記事が毎号数ページ掲載されていた。
だが、それはどうしても内輪ネタといった印象から抜け出ることはなかった。
少なくとも私はそんなふうに感じていた。
MAC POWERにはそういうところが皆無だったとはいわないけれど、内輪ネタには留まっていなかった。
だから面白く読めた。
ステレオサウンドでMAC POWERのように編集者が積極的に誌面に登場するようにはできないか、
それになぜ編集者は黒子でなければならないのか、について考えてもいた。
ある時、ある人から聞いた。
ステレオサウンドがオーディオ評論家を前面に推し出し、編集者を黒子とするのか、
その理由についてである。
ある人は、原田勲氏から直接聞いたこととして、私に話してくれた。
「そういう理由もあったのか……」と思った。
いまここで、その理由については書かない。
いつか書くことになるかもしれないが、いまは書かない。
ある人から聞いたことだけが黒子の理由の全てではないにしても、
こういう考えがあるのなら、編集者にオーディオ・ジャーナリズムは芽生えない、とだけはいっておく。