ショルティの「指環」(その13)
1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー」の試聴レコードでは3枚。
アバド/シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第一番、クライバー/ウィーン・フィルのブラームスの第四番、
それにカラヤン/ベルリン・フィル、リッチャレルリ、カレーラスらによるプッチーニのトスカ。
3枚ともドイツ・グラモフォンのレコードだった。
このときの試聴で印象に残っているのは、
当時から好きだったクライバーのブラームスではなく、アバドのマーラーだった。
試聴に使ったは第一楽章の序奏の部分。
こんなに張りつめた空気で、聴き手の集中力をどこまでも要求してくるかのように思えた響きの透徹さに、
何度も何度も聴くうちにすっかりくたびれてしまったということもあったが、
試聴後の話の中で、黒田先生の発言が印象深かったこと関係している。
どの機種のところで話されたのか、確認しようと思い、
いま「サウンドコニサー」をぱらぱらめくってみたけど、見つけられなかった。
まとめでは省略されてしまっただろうか。
黒田先生は、現代にマーラーが生きていたら、
第一楽章の序奏にはシンセサイザーを使ったかもしれない、ということだった。
アバド/シカゴ交響楽団の演奏は、たしかにそう感じさせるところが、その響きのなかにある。
アルマ・マーラーの回想記「グスタフ・マーラー──回想と手紙──」(酒田健一氏訳、白水社刊)にこうある。
*
──『第六交響曲』の練習の時だった、マーラーは終楽章の大太鼓の強打音が弱すぎるといって、巨大な箱を取り寄せ、それに皮を張らせた。これを棍棒で叩こうというのだ。練習に入る前、この即製の楽器はステージに運ばれた。しんと静まりかえった緊張、やがて太鼓叩きが棍棒をふりかぶって打ちおろした。鈍くかぼそい音が出た。これが答えだった。そこでもう一度ありったけの力をこめたが、結果は同じ。マーラーはしびれを切らし、前へ走り出すと男の手から棍棒をひったくり、たかだかと振りかぶり、風を切って打ちおろした。あいかわらず情けない音。みな一斉に笑い出した。そこで従来のまともな大太鼓を持ち出すことになった。するとどうだろう、雷鳴一時にとどろきわたった!……
*
しかもマーラーはこれで懲りることなく、バカにならない費用をかけて、
この「箱」を次の演奏会場にまで運び込んでいる……。
五味先生は、「マーラーの〝闇〟、フォーレ的夜」(「天の聲」所収)のなかに、
このエピソードを引用した上で、書かれている。
*
「われわれ音楽家は詩人にくらべて分が悪い。読むことなら誰にだってできる、だが印刷された総譜は謎の書物だ、謎ときの出来るのは指揮者だけなのに……」そんな意味のことも洩らしたという大指揮者が、即製の箱に皮を張れば大太鼓より轟くだろうと本気で考えたのである。よりよい音への貪欲さによることだが、貪らんで執拗な行為が、稚気を感じさせるには天性の童心がなくてはかなうまい。
*
こういう男だから、マーラーの前にシンセサイザーがあったならば採用していただろうとは思える。
だが、勘違いしないでほしいことがひとつある。
だからといって、アバド/シカゴ交響楽団による交響曲第一番の第一楽章の弦が、
シンセサイザー的に鳴っていいわけではない、ということだ。