「いい音を身近に」(その13)
気ままに距離を変えるためには、重くては困る。
すごく軽くなくてもいいけれど、QUADのESLのように片手でもてるのであればそのぐらいでもいいし、
キャスターがついた台のうえにのせていれば、もうすこし重くも、片手で動かすことはできる。
それほど大きくてなくて、それほど重くなくて、というふたつの条件が満たされなければ、
装置(スピーカーといいかえてもいい)と聴き手の距離を変えることは、ただ億劫になるだけだ。
ステレオサウンド 47号の黒田先生の文章を読みなおしてみても、
キャスターのついた白い台を、両手で動かされていたのか、片手だったのかは書かれていない。
ただ「かえようとしてかえたのではなく、後から気がついたら」とは書かれている。
両手で動かしていたら、「後から気がついて」とはならないように思う。片手ですっと動く。
だから、白い台を音楽によって動かしているときはそのことに気がつかなかった、とはいえいなだろうか。
大きくなく重くない。つまり、物量投入の大きくて重いオーディオ機器ではない。
そこには、制約がいくつか生じてくる。
黒田先生は、テクニクスのコンサイス・コンポで聴かれたレコードについても書かれているが、
最後のほうで、聴かなかったレコードをあげられている。
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たしかに、キャスターのついた白い台の前ですごした5時間の間、マーラーのシンフォニーも、ハードなロックもきかなかった。結局、そういうレコードは、それらの装置が呼ばなかったからだろう。きいたレコードのうちの多くがインティメイトな表情のある音楽だった。
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「呼ばなかったからだろう」と書かれている──。