Date: 9月 2nd, 2010
Cate: High Fidelity
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ハイ・フィデリティ再考(その22)

高城氏に質問することはもうできないが、ひとつ確かめておきたかったのは、
再生時の音量について、である。

原音再生を掲げられていて、ずっと追求されてきたわけだから、
少なくともあの場所でピアノを録音し再生するときの音量は、
録音時のピアノが鳴らしていた音量そのままのはずである。
もうその音量よりも、再生時において小さかったり大きかったりしたら、原音再生とは厳密にいえなくなる。

いいかえれば、原音再生に音量設定の自由は存在しない、ということだ。

レコード音楽の再生は、いうまでもなく、そんなことはない。
音量の設定は、聴き手次第で、大きくも小さくもできる。

深夜にどんな大音量を鳴らしてもかまわないという恵まれた環境にあるからといって、
その人が必ずしも大音量で音楽を聴くわけではないし、大音量派といえるひとでも、
昼と夜とでは音量は変ってくることもあるだろうし、深夜ひとりでひっそりとした音で聴く音楽だってある。
反対に、真夜中にひとりきりでマーラーのフォルティッシモを、爆発するような音量で聴きたいときもある。

大音量再生で知られる岩崎先生だって、つねに大音量であったわけでないことは、
書かれたものを読めばすぐわかることだ。

音量をいつでも聴き手の自由に設定できることこそ、レコード再生の大事な因子のひとつである。
この因子が、原音再生にはない、というか、取り除くことによってしか原音再生は成立しない。

原音再生においては、ボリュウムは原音と同じ音量に設定するためのものでしかないわけだ。

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