ハイ・フィデリティ再考(その9)
五味先生が使われてたいのは、ルボックスのA700、テレフンケンのM28A、
この二台が、ティアックのR313もお持ちだったけれど、メインとして使われていた。
そして最後には、スチューダーのC37も入手されている。
C37は、A700、M28Aとの比較でいえば、アナログプレーヤーのEMTの927Dstと930stの違いによく似てよう。
C37は927Dstに肩を並べる、そういうプロ用機器である。
五味先生のアナログプレーヤーは930st。927Dstについて語られることはなかった。
C37については、入手以前から、どうしても手に入れたいものとして、何度か、そのことについて書かれている。
927Dstについて、そのような記述はなかったはずだ。
それだけオープンリールデッキには、並々ならぬ情熱をかけられていた。
というより録音に対して、であるのだが。
だが、その録音もいわばエアチェックである。
バイロイト音楽祭の中継、それにときどきNHK-FMが行っていたコンサートの生中継、
録音されていたものは、おそらくこれらが中心だったはずだ。
それも、バイロイト音楽祭の録音のため、といってもいいのではなかろうか。
なぜ、それほどまでに毎年、「業のようなもの」といいながら録音をつづけられていたのだろうか。
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たしかに『ワルキューレ』(楽劇『ニーベルンゲンの指輪』の第二部)なら、フルトヴェングラー、ラインスドルフ、ショルティ、カラヤン、ベーム指揮と五組のアルバムがわが家にはある。それよりも同じ『指輪』のなかの『神々の黄昏』の場合でいえば、放送時間が(解説抜きで)約五時間半。収録したものは当然、編集しなければならなぬし、どの程度うまく録れたか聴き直さなければならない。聴けば前年度のとチューナーや、アンプ、テレコを変えているから音色を聴き比べたくなるのがマニアの心情で、さらにソリストの出来映えを比較する。そうなればレコードのそれとも比べたくなる。午後一時に放送が開始されて、こちらがアンプのスイッチを切るのは、真夜中の二時、三時ということになる。くたくたである。
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歳末のあわただしいときの話だ。