オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その11)
ステレオサウンド 62号の瀬川先生の追悼記事は、五味先生の文章の引用から始まっている。
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瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六畳で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに泌みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。
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ステレオサウンド 16号に掲載された、五味先生のオーディオ巡礼の文章である。
「音を描く詩人の死──故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」の記事を書きまとめられた人(倉持公一氏)は、
この引用の文章のあとにつづけている。
「五味先生は、ご自分と、とても似た血の流れていることを聴きとられていたのである。」
このことこそが、瀬川先生が「オーディオ評論」を始められたことにつながっていっている、と私は思っている。
つまり、五味先生の存在がなかったならば、瀬川先生の「オーディオ評論」は、
ずいぶん違ったものになっていったであろう……、そんな気もするわけだ。