「いい音を身近に」(その9)
少し長くなるが、黒田先生の文章を引用しよう。
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ぼくは、子どものころ、ラジオに耳をこすりつけるようにして、きいた経験がある。そんなに近づかないとしても、ともかくラジオで可能な音量にはおのずと限界があったから、たとえば今のように、スピーカーからかなりはなれたところできくというようなことは、当時はしなかった。いや、したくとも、できなかった。そこで、せいいっぱい耳をそばだてて、その上に、耳を、ラジオの、ごく小さなスピーカーに近づけて、きいた。(中略)ラジオとききてとの間にはということだが、いとも緊密な関係があった──と、思う。そのためにきき方がぎごちなくなるというマイナス面もなきにしもならずだったが、あの緊密な関係は、それなりに今もあるとしても、性格的に変質したといえなくもない。リスニング・ポジションを一定にして、音量をかえながら、レコードをきく──というのが、今の、一般的なきき方だとすれば、あのラジオのきき方は、もう少しちがっていた。
そういう、昔の、ラジオをきいていたときの、ラジオとききての間にあった緊密な関係を、キャスターのついた白い台の上にのった再生装置一式のきかせる音は、思いださせた。それは、気持の上で、レコードをきいているというより、本を読んでいるときのものに近かった。
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黒田先生が若いころにきかれていたラジオとちがい、
このときのテクニクスのコンサイス・コンポとビクターの小型スピーカーS-M3の組合せは、
音量不足を補うために近づくということは、する必要はない。
音質にしても音量にしても、当時のラジオのそれとは較べものにならないくらいによくなっているにもかかわらず、
黒田先生は、
「再生された音と、それをきく人間の関係という、ごく基本的なところでは、すくなからぬ共通点」
を見出されている。