岡俊雄氏のこと(その9)
Deliusをデリウスを書いてしまう人と違い、岡先生は調べられることは徹底的に調べる人である。
もっともDeliusをデリウスを書くようなことは、徹底的に調べなくとも少し調べるだけで避けられること。
徹底的に調べる、ということは、あるひとつのことについて調べていても、
それに附随・関連するいろいろなことを知り、またそれらについて調べていくことでもある。
そういう岡先生の本だからこそ、といえるところが「マイクログルーヴからデジタルへ」にはある。
これについて黒田先生はこう書かれている。
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そしてもうひとつ、どうしても書いておかなければならないことがある。岡さんの、決して押しつけがましくならない、相手にそれと気どられることさえさけようとする、いかにも岡さんらしいサーヴィス精神である。サーヴィス精神という言葉は、昨今、ひどく安っぽくつかわれることが多いが、岡さんのサーヴィス精神は、あちこちにごろごろしているプラスティックのサーヴィス精神ではなく、本物の、筋金入りのサーヴィス精神である。
岡さんの本の、ほとんどすべての偶数ページの下段に、さまざまなレコードのジャケット写真と、そのレコードについての二五〇字前後のコメントが印刷されている。たとえば、こんな具合にである──「ワイル《三文オペラ》ロッテ・レーニャ、他(米キャピトルP8117、1950年12月)この《三文オペラ》は1930年に映画化されたときのメンバーによる4枚組SPがオリジナル。のちに独テレフンケンが30cm片面にして出している。ジャケットの裏に3、500と値段が鉛筆で書いてある。昭和26年の輸入盤LPが当時の物価から見ればずいぶん高いものだったことを改めて思い出す。しかもこのレコードは両面で27分足らずしか入っていなかった」(同書、二二一ページ)。そして、そのページの本文では、当然のことに、そのレコードについても、ふれられている。
読者は、本文を読みつつ、同時に、下段のジャケット写真をながめ、それにそえられたコメントに目を走らせて、いってみれば立体的なたのしみをあじわうことになる。まことに岡さんらしい、岡さんならではのサーヴィス精神の発露というべきではなかろうか。
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「マイクログルーヴからデジタルへ」の偶数ページの下段のレコード紹介は、
本文と同じくらいに楽しめる内容だった。
モノクロで、決して解像度の高い写真ではないけれど、ジャケット写真を見て、
それらのレコードを、ほぼすべて発売時に聴かれてきた岡先生のコメントは、
岡先生よりもずっと後の時代に生れ、いわば後追い体験している者(私)にとっては、興味深くもあった。
これに関しては読み手の世代によって違いがあろう。
黒田先生はこんなふうに書かれている。
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ああ、そういえばこういうレコードがあったと、過ぎた日に輸入レコード店の店頭でながめ、しかし買うことままならずながめるだけですまさざるをえなかったレコードを、そのジャケット写真は思い出させてくれる。
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黒田先生と私は27違う。
東京生れ東京育ちの黒田先生とは、この部分でも違うのだから。