Date: 10月 7th, 2013
Cate: 「スピーカー」論
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「スピーカー」論(その4)

High-Fidelityは、ときとして都合のいいものである。
この音はハイフィデリティだ、このほうがハイフィデリティだ、的な使い方がなされているが、
この場合、もっとも問題になるのは、何に対してのハイフィデリティか、ということは、
実のところ、ずっと以前からいわれていたことではあるにも関わらず、
いまでも、ただ単に「ハイフィデリティだ」というふうに使われることが多い。

再生側におけるハイフィデリティとは、
理想論は別として現実には、録音に対してのハイフィデリティということになる。
では録音におけるハイフィデリティとは、やはり原音ということになる。
だが、この原音と呼ばれる、正体が判然としないものに対してのハイフィデリティとは、
いったいどういうことになるのか。

このことについて書くことは、
ここでの「スピーカー」論から離れていくし、
再生側におけるハイフィデリティは、録音に対してのハイフィデリティということに落ち着く。
それ以上のことを望んでも、再生側からはいかんともしがたいからだ。

では録音に対してのハイフィデリティということになるわけだが、
2チャンネル・ステレオにおいては、左チャンネルと右チャンネルの信号がそれぞれ録音されている。
このふたつのチャンネルの信号を、
まったく干渉せずに何も加えず何も減らさずにスピーカーに電気信号として送り込む、
その送り込まれた電気信号を完全な正確さで振動板のピストニックモーションへと変換する。
この際に、余分な共振はいっさい加えない。

これが果して録音に対してのハイフィデリティといえるのか、となると、
やはりこれは録音「信号」に対するハイフィデリティということでしかない。

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