日本のオーディオ、これから(その2)
スイングジャーナルのオーディオのページにはオーディオ相談室というコーナーがあった。
最初のころは岩崎先生がひとりで担当されていて、
途中から長岡鉄男氏とふたりでの担当、その後斎藤宏嗣氏も担当になられた。
スイングジャーナル 1972年8月号のオーディオ相談室に、こんな質問が読者から寄せられている。
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質問:トリオPC300、TW61でサンスイSP100を6畳洋間にて鳴らす。20万円台でグレード・アップしたいが、アンプとスピーカーをそろえたいと思っています。店でジムテックの音を聴いてみて、好みにあった音なのでNo.1000を予定。ラックス507Xに組み合わせようと思いますが、SJでジムテックをとりあげないのはなぜでしょうか。音も評判もいいと思いますが。
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オーディオ雑誌の相談のコーナーは、他のオーディオ雑誌にもあった。
読んでいても参考になることはあまりなかったし、
相談コーナーに何か質問しようと思ったこともない。
あるオーディオ雑誌の相談コーナーは、当り障りのないことばかりだった。
少なくとも私が読みはじめたころのオーディオ雑誌の相談コーナーはそうだった。
けれどスイングジャーナルのこのころの相談コーナー、
というよりも岩崎先生の答は、そんなぬるい回答ではなかった。
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回答:組み合わせに対してのお答えは、キミがイイと思ったらそれが一番イイ。ひとにいいといわれたってその気になれるもんじゃないし、やはり自主性、主体性がなにより先決なのは人生すべてそう。
「ジムテック」についても自主性、主体性の欠如が問題なのであって、音の良し悪し以前の問題。商品として、金をとって売る品物としての自主性が完全に欠如しているのでは? ひとの名声の無断借用的根性が、SJをしてとりあげさせない理由だろう。音楽にひたる心のふれあいのひとときを演出するのが、ハイファイ・パーツ。そこに気になるものがわずかなりとも存在することに平気なら、どうぞジムテックを。何10万もする高価な海外製品を使うのも心の安らぎと、ぜいたくに過ごしたいという夢からなのだ。ハイファイというのはそういうぜいたくが必要なのである。しかし、それはたとえ少しでもまがい者的ではいけないのだ。
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1971年8月号のジムテックの広告にコメントを書いていた「一流の耳をお持ちの方」とは、
気概から何もかも違う人もいた。