Archive for 2月, 2021

Date: 2月 2nd, 2021
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その6)

勢いがあった、ということでは、
1980年代の国産メーカーの598スピーカーも、ある意味そういえる。

この598スピーカーのはしりといえるオンキョーは、この時、旬だったのか。
少なくとも私はそんなふうにはまったく感じていなかった。

いまふりかえってみてもそうではない、と思っている。

なぜそう感じるのかは、これから考えていくのだが、
ひとついえるのは、598スピーカーを、
どこも自信作として誇っていなかったからではないのか。

他社の598スピーカーが、これだけの物量を投入しているから、
ウチは……、そんな空気があったから、598戦争といわれていた。

消耗戦でもあった。
なので、そこでの勢いは、ほかの時代の、ほかのメーカーの勢いとは違っている。

Date: 2月 2nd, 2021
Cate: 老い

老いとオーディオ(オーディオ機器の場合・その2)

続きを書くつもりはなかった。
けれど、今日になってふと思い出したことがある。

あるスピーカーシステムのことだ。
かなり大型で、しかもそうとうに高価なスピーカーシステムである。

その海外ブランドのフラッグシップモデルである。
輸入元が輸入したものの、そう簡単に売れるモノではない。
ずっとその輸入元の試聴室にあった。

これだけの規模のスピーカーを買える(置ける)人は、どんな人なのだろうか。
何度かショールームで、そのスピーカーをみるたびに、そんなことを思ったりした。

ある日、その輸入元の社長(当時)が、売れた、といっていた。
輸入元にとって、あれだけ高価なモノが売れたのは嬉しいことのはずだが、
社長は浮かない顔もしていた。

ほんとうに、このスピーカーに惚れ込んでくれた人のところに行ったのならば……、
ということだった。

これだけのスピーカーをポンと買える人だから、
他にも数多くのスピーカーを持っているとのこと。
もちろんアンプやプレーヤーも同じように複数台持っている。

有名な評論家(オーディオではない)のところに行ったそうだ。
そのスピーカーとして、その人にとっては、多くのスピーカーの一つにすぎないわけだ。

その有名な評論家がぞんざいな扱いをしているとは思わないが、
浮ぶのは、死蔵ということばである。

Date: 2月 1st, 2021
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その26)

(その16)、(その17)、(その22)で、
「これでいいのだ」について書いている。

小林秀雄のことばをかりれば、
「これでいいのだ」は、自足する喜びを蔵した思想ということなのだろう。

まだよくわかっていないところも感じているけれど、
少なくとも私にとって、オーディオにおける「これでいいのだ」はそういうことのようである。