Archive for 8月, 2020

Date: 8月 3rd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その3)

絶対的な才能と相対的な才能の違い。
一流と二流の違いは、そうなのではないだろうか。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を聴いていると、なおさらそう思ってしまう。
1965年のショパン・コンクールで、アルゲリッチが優秀したというのは、
この年の出場者のなかで、アルゲリッチがもっとも優れていた(相対的な才能)というよりも、
圧倒的(絶対的才能)だった、ということなのだろう。

ショパン・コンクールから三ヵ月の録音である“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”。
55年後のいま聴いても、輝きをまったく失っていないばかりか、
輝きをましているかのようにも感じてしまうのは、
相対的な才能の優秀なピアニストが増えてきたからなのだろうか。

7月は、“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”をよく聴いた。
ショパンの音楽をあれだけ遠ざけていた私とは思えないほどに、くり返し聴いていた。

聴くたびに、音のよさにもやはり驚く。
驚くからこそ、そしてアルゲリッチの絶対的な才能をあますところなく聴きたい、とも思う。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はSACDも出ていた。
いまごろ“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を買っているくらいだから、SACDではなくCDだ。

SACDでも聴いてみたいと思う。
でもそれ以上にMQAで聴いてみたい。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はワーナー・クラシックスから出ている。
ワーナー・クラシックスはMQAにも積極的である。
いまのところe-onkyoに“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はない。

でも、これからさき出てくる可能性は、決してゼロではない。
そう思ってしまうのは、トリオの創業者の中野英男氏の「音楽、オーディオ、人びと」、
このなかにアルゲリッチについてかかれた文章がある。
『「狂気」の音楽とその再現』を読んでいるからなのだろう。

Date: 8月 2nd, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その5)

いまのオーディオ業界にいる一流ぶったオーディオ評論家と、
私がオーディオ評論家(職能家)と思っている人たちとの大きな違いはなにか。

その一つは、意志共有できるどうか、だと思う。
一流ぶることなく「私は二流のオーディオ評論家ですから」という人は、どうか。

意志共有できていた、ようにも思うところもある。
そうだからこそ、「私は二流のオーディオ評論家ですから」といえるのではないのか。

そこまでの才能がないことを自覚している。
そのうえで、オーディオ評論家としての役目を考え、
そのうえで自分の役割を果たしていくことは、意志共有できていたからではないのか。

一流のオーディオ評論家がすべての役割をこなしていけるわけではない。
役割分担が必要になってくる。

一流ぶったオーディオ評論家も、二流のオーディオ評論家である。
同じ二流のオーディオ評論家でも、
「私は二流のオーディオ評論家ですから」といったうえで、自分の役割をはたしていく人、
一流ぶるだけの人たち。

一流ぶっているオーディオ評論家は、一流ぶっているうちに、
役割を忘れてしまった(見失ってしまった)のではないのか。

それでも一流ぶることに長けてしまった。
一流ぶっているだけ、と見抜いている人もいれば、そうでない人がいる。

そうでない人を相手に、オーディオ評論という商売をしていけば、
これから先も一流ぶって喰っていける。

一流ぶっている人のなかには、以前は、役割を自覚していた人もいるように思う。
なのに、自身の役割から目を背けてしまったのではないのか。

一流ぶることなく「私は二流のオーディオ評論家ですから」といい役割を忘れていない人、
一流ぶることに汲々として、役割を放棄した人、
そして見極められない読者がいる。

Date: 8月 2nd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その2)

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、ピアノ・ソナタの3番から始まる。
クラシックをほとんど聴かない人であっても、
ショパンのピアノ・ソナタ3番の冒頭は、どこかできいたことがあるはずだ。

その冒頭が、誇張なしに目が覚めるように鳴ってきた。
演奏がすごいだけでなく、音もいい。
1965年の録音とは思えなかった。

アルゲリッチの演奏テクニックはすごいのだけれども、
聴いていて芸達者というふうにはまったく感じない。

別項で一流と二流について書いているところだけれど、
ここでもそのことをひしひしと感じることになる。

プロのピアニストとして十分なテクニックをもっていて、練習を怠らない人、
音楽の理解も十分にあっても、それだけでは到達できない領域があることを、
“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、はっきりと見せつける。

ピアノを弾けない私が聴いてもそう感じる。
ピアニストならば、どう感じるのだろうか。

ピアノを弾けない私とプロのピアニストのあいだには隔絶した壁があるわけだが、
大半のプロのピアニストとアルゲリッチとのあいだにある壁は、
それよりもずっとずっと隔絶しているのではないだろうか。

優れた指導者の元で、演奏を磨いていく。
ピアノ教育の現場がどうなのかは知らないが、
アルゲリッチがピアノを習っていた時代と現在とでは、そうとうに違っているのではないか。

トレーニング法はずっと進歩している、と思う。
だからこそ、トレーニングだけでは絶対にこえられない壁があることを、
プロのピアニストならば実感しているのではないのか。

Date: 8月 1st, 2020
Cate: ジャーナリズム, ディスク/ブック

自転車道 総集編 vol.01(その2)

(その2)を書くつもりはなかったけれど、
facebookでのコメントを読んで書くことにした。

コメントには、総集編はブームの終りに出しやすいですね、とあった。
自転車ブームが終りを迎えているのかどうかは、いまのところなんともいえないが、
少なくともピークは過ぎてしまったようには感じている。

私が「自転車道 総集編 vol.01」を高く評価するのは、
オーディオ雑誌というよりも、
ステレオサウンドが出す総集編、選集とは根本的なところで違うからである。

「自転車道 総集編 vol.01」の序文に、こうある。
     *
安井 僕は自転車道の連載の中で、ことあるごとに、しつこいくらいに書いているんです。「この記事を読んでも速くなったり楽になったりペダリングが上達したりはしないぞ」って。今までの自転車雑誌はそういう記事ばっかりでしたよね。「どのホイールが速いのか」とか「こうすれば速くなる」とか「これでラクに走れるようになる」とか。そういうシンプルでイージーな記事ばっかりだった。もちろんそういう記事も必要なんですけど、「自転車という乗り物を深く理解してみよう」という記事はなかった。だから、「速くもラクにもなれないけど、読めばもしかしたら自転車乗りとして内面から進歩できるかもしれない」という記事をずっと作りたいとも思ってました。
吉本 自分はいち自転車好きとして「こういう記事が読みたい」と思ってたんですが、編集者として、雑誌屋として、「こういう記事を作りたい」という想いも強かったですね。ありがちなインプレとかノウハウ記事とは違う、エンターテイメントとして成立する読み物があるべきだとずっと思ってました。
安井 でも最初は怖かったですよ、ホントに。「フレームにかかる力を知る」なんて企画をバーンとやったはいいものの、全員から「そんなことどうだっていいんだよ」っていわれたらどうしようって。
     *
「自転車道」は2014年から始まった記事である。
そのころに、こういう記事をはじめたところが、オーディオ雑誌とは違う。

そして自転車ブームのピークが過ぎ去ったといえるころに、
「自転車道 総集編 vol.01」を出してきた。

「どのホイールが速いのか」とか「こうすれば速くなる」とか「これでラクに走れるようになる」とか、
そういった記事の総集編ではない。

Date: 8月 1st, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その1)

ショパンの音楽に特徴的な無垢な部分。
かなり以前に、黒田先生が、なにかそんなふうに書かれていたことをおもいだす。

この特徴的な無垢な部分がショパンの音楽にはあるからこそ、
芸達者なショパンの演奏は、どこかつくりものめいたところを感じる──、
そんなふうにも書かれていた。

私は、ショパンの音楽がどうも苦手である。
いまは歳をとったせいもあるからそれほどでもなくなってきているが、
20代のころは、ショパンの音楽を聴いていると、尻のあたりがムズムズして落ち着かない。

30代のころまでそうだった。
40代のころは、ショパンをほとんど聴かなくなっていた。

ショパンが嫌いなわけではない。
ただ聴いていると、そうなるから聴くのを避けていたら、そうなってしまっただけだ。

この尻のあたりのムズムズ感は、
もしかすると、黒田先生が以前指摘されたことは関係しているのかもしれない。
そんなふうに50代になって思うようになった。

芸達者なショパンだったから、そんなふうに落ちつかなくなるのか。
先月、アルゲリッチの“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を聴いた。

録音は1965年。
アルゲリッチがショパン・コンクール優勝の数ヵ月後の録音である。

なのに世に出たのは1999年。
レコード会社との契約の関係で34年間発売されなかったことは、
クラシック好きの人ならば、よく知っていること。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”が出るといニュースを知った時は、
まだ30代だったこともあって、出るんだぁ、以上の関心がもてなかった。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”がショパンでなく、
ほかの作曲家の作品の録音だったら、すぐさま買っていただろう。

そんなことで発売から21年経って、はじめて聴いた。