Archive for 12月, 2015

Date: 12月 1st, 2015
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その5)

ステレオサウンド 97号での岡先生の発言からもうひとつわかることは、
AKGのK1000の装着艦はひじょうに優れている、ということである。

岡先生は普通のヘッドフォンだったらかけたまま眠れないのに、
K1000では装着の違和感がまったくないから、そのまま眠ってしまう、と。

その3)でK1000の装着感を、
ばっさり切り捨ててしまった知人の感想とは、まったく逆である。

どちらを信じるか。
私は岡先生である。

K1000を切り捨てて悦に入っていた知人は、
別項「菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その14)」で書いた知人である。
XRT20をフリースタンディングで鳴らして、こちらがいい音と言った人である。

彼は、オーディオの仕事を当時やっていた。
何を、彼はわかっていたのだろうか。

彼はK1000だからこそもつ良さを感じとれない人なのだろう。
もっといえば想像できない人なのだろう。

私はK1000を聴いていない。
K1000はとっくの昔に製造中止になっている。
K1000の設計思想を受け継いだヘッドフォンはAKGからも、他のメーカーからも出ていない。

日本ではヘッドフォン・ブームといえる状況で、
K1000の時代よりも数多くの製品が市場にあふれているにも関わらず、だ。

中野で年二回行われるヘッドフォン祭に来る人の多くは若い人である。
彼らは、終のスピーカー、終のリスニングルームといったことは、
まだ考えもしないはずだ。
私も20代のころは、そんなこと考えていなかった。

けれど、いまは違う。
終のスピーカーということも考えているし、書いてもいる。
終のリスニングルームということも考えてしまう。

AKGのK1000は、終のリスニングルームになるかもしれない。
そんな予感が残っている……。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーのこと(その14)

NTXシステムの振動板の様子を捉えた写真を見て、
ゴードン・ガウがXRT20のトゥイーターコラムで実現しようとしていたことは、
こういうことなのか、と思った。

XRT20は日本では1981年から販売されている。
けれどアメリカでは1980年から市場に出ていたし、
実のところ日本にもそのころ輸入されていたにも関わらず、そのころの輸入元の判断で、
日本市場では売れない、ということでずっと保管されたままだった。

ステレオサウンドにXRT20が登場したのは59号。
新製品紹介のページで菅野先生が書かれている。
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ここに御紹介するXRT20という製品は、同社の最新最高のシステムであるが、すでに昨1980年1月には商品として発売さていたものなのだ。したがって、いまさら新製品というには1年以上経た旧聞に属することになるのだが、不思議なことに日本には今まで紹介されていなかったのである。1年以上も日本の輸入元で寝かされていたというのだから驚き呆れる。
     *
この記事はカラーページだった。
59号を持っている方は、もう一度写真を見直してほしい。
XRT20のウーファーセクションのエンクロージュアの下部が、どうみても新品とは思えない状態になっている。

輸入元で保管といっても、あまりいい状態での保管ではなかったようだ。
空調のきいたところで保管されていたのであれば、エンクロージュアの下部はこんなにはならない。

XRT20はヴォイシングを必要とするスピーカーシステムだったし、
トゥイーターコラムもウーファーセクションのエンクロージュアも壁につけて使うことが前提となる。
いわば制約の多い製品といえる。

こういうモノは売りにくい、売れない、と当時の輸入元が判断したのは、
XRT20というスピーカーシステムを正しく理解していなかったともいえる。

でも、どれだけの人がXRT20を正しく理解していたといえるだろうか。
XRT20を購入した人だから、XRT20を正しく理解しているとはいえない。
それがいい音で鳴っていたとしても、XRT20の理解とは別のところで鳴っているわけである。

オーディオで仕事をしていない人ならば、私はそれでいいと思っている。
正しく理解したからといって、いい音で鳴らせるとは限らないからだ。

ただオーディオの仕事をしている人は、それでは困る。
私は、一度XRT20を一般的なスピーカーと同じようにフリースタンディングで鳴らして、
こう鳴らす方がいい音でしょう、と誇らしげに語った人を知っている。
ここにも、おさなオーディオがある。

この人のスピーカーの理解はこんなものか、と思ってしまった。
とはいうものの、そのころの私も、この人よりはXRT20を理解していたとはいえるが、
ほんとうに正しく理解していたとはいえない。

なぜゴードン・ガウは、トゥイーターコラムを試作品段階で試したコンデンサー型としなかったのか、
なぜハードドーム型ではなくソフトドーム型にしたのか、
24個のトゥイーターを、なぜ、あんなふうに配線しているのか……。

いくつかの疑問があって、その答を見出せずにいた。
1996年までそうだった。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その4)

メガネをかけるかかけないかで、顔の印象は違ってくる。
どんなデザインのメガネかによっても、その人に似合っているのかどうかにもよって、
印象の変化も度合も違ってくる。

鼈甲のフレームのメガネを私はかけたことがないけれど、
鼈甲のフレームは装飾品としてのつくりと価格であるから、
かけた時の印象の変化は、そうでないフレームのメガネよりも大きい。

かけてもかけなくても顔の印象がほとんど変らない鼈甲のフレームが仮にあったとしたら、
それはあまり売れない商品になってしまうのかもしれない。

ここでマークボーランドのスピーカーケーブルの話に戻ると、
マークボーランドのケーブルを鼈甲のフレームのように見ているのか……、と思われるかもしれない。

そうともいえるし、そうでないともいえる。
何もマークボーランドのケーブルだけではない。
非常に高価で、そのケーブルに替えると音が大きく変化するという印象を与えるケーブル、
それらをすべてをふくめてのことなのだが、
私にとってマークボーランドがその手のケーブルで最初に聴いたモノだっただけに印象が強い。

スピーカーケーブルがなければ、どんなに高価なアンプであろうと、
どんなに優れたスピーカーシステムであろうと、それらはただの金属の箱、木製の箱でしかない。
スピーカーケーブルで両者が接がれて、
アンプはアンプとしての、スピーカーはスピーカーとしての仕事を果すことになる。

スピーカーケーブルは必需品であり、
その意味では私のように視力の悪い者にとってのメガネと同じともいえなくもない。

その必需品によって顔の印象が変り、音が変化する。
ここにデザインとデコレーションの違いが入りこむような気がする。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その11)

五極管のシングルアンプも、凝った回路でなければ、
つまりアンプの教科書に載っている基本的な回路で製作すれば、
テスターがあれば調整はできる。

自分でシャーシー加工して作るのか、
それとも部品すべて揃っているキットを購入して作るのか、
どちらでもいい、とにかく丁寧にハンダ付けして配線に間違いがなければ、
アースもしっかりととっていれば、ほぼ間違いなく音は出る。

自分で作った真空管アンプから音が出る。
初めての製作であれば、これだけでも嬉しい。
私が中学一年のころ、初めて製作した電子工作は、
初歩のラジオに載っていた、暗くなるとLEDが点灯するというものだった。

部品点数は少なかった。
自分で部品を買いに行く。
いまのようにインターネットで簡単に注文できる時代ではなかった。

ハンダ付けができれば、すぐに完成するものだったけれど、
それでもハンダ付けが終り、配線の間違いがないことを確認して、
電池を入れて、どきどきしながら暗いところに持っていく。
実際にLEDが光ったのを見て、嬉しくなった。

そのころはどういう動作でそうなるのかはよく理解していなかった。
なんとなくの理解でしかなかったけれど、それでも自分で作ったものがきちんと動作するのを見るのは、
やはり喜びがある。

初めて作る真空管アンプが、さほど凝ったモノでなくとも、
そのアンプがきちんと動作してスピーカーを鳴らしてくれれば、作った人にしかわからない喜びはある。
初心者だからこそ味わえる喜びといえよう。

その喜びの次のステップをどうするのか。