(その37)と(その38)で、四つのマトリクスのことを書いた。
アクティヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択、
アクティヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択。
この四つのマトリクスが考えられる。
(その41)で例に挙げたダイヤトーンのP610は、パッシヴなスピーカーといえる。
このP610を、どう鳴らすのか。
アクティヴな聴き手とパッシヴな聴き手が、P610を鳴らすとして、
同じ組合せで鳴らすとは思えないし、
たとえ同じ組合せであったとしても、鳴らし方は違ってくるし、
結果として鳴ってくる音は、違って当然である。
その音を聴いた人はどう感じるのか。
パッシヴな聴き手が鳴らしたP610の音を聴いて、P610らしい音ですね、という感想をもつのか。
アクティヴな聴き手が鳴らすP610の音を、P610らしくない音と感じるのか。
P610は16cm口径のフルレンジユニットだから、高性能をねらったモデルではない。
ダイナミックレンジも周波数レンジもほどほどのところでまとまっている。
いいかえれば、鳴らし手の要求すべてに十全に応えるだけの性能をもたない。
そういうP610だから、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手が、
それぞれ鳴らす音に違いはあっても、その違いは大きく出るのか、
もしくはさほど大きな違いとはならないのか。
同じダイヤトーンの2S305を、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手が鳴らした場合、
さらにはもっと新しいDS10000の場合は、どうなるのだろうか。
スピーカー(変換器)としての性能の高さによりかかってしまえば、
むしろ違いは小さくなっていくだろう。
上記の四つのマトリクスを考えてはみたものの、
実際のところ、それらの音を聴くことはまずない。
それでも、このことを考えずに、日本の音について語れるのだろうか。