Archive for category テーマ

Date: 5月 19th, 2024
Cate: ディスク/ブック

フィガロの結婚(クライバー・その3)

エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」を聴くたびに感じていることがある。
この録音、序曲はあまり冴えないような感じを受ける。

特に悪いというわけではないが、曲がすすむにつれて、
音の冴えが増してくるように感じるものだから、相対的に序曲が冴えないと感じてしまう。

エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」の録音時、
デッカの録音スタッフもステレオ録音について、まだ手さぐりの段階だったのかもしれない。
だからこそ、序曲よりも第一幕、第二幕……、と音が良くなっていっているのではないのか。

ここでいう音のよさとは、音の美しさでもあるし、
モーツァルトの音楽としての美しさともいいたくなる。

とにかく曲の進行とともに、なんて美しい音楽だ、とおもう気持が強くなっていく。
特にMQAで聴いていると、そのことをより強く感じる。

Date: 5月 18th, 2024
Cate: 新製品

新製品(その24)

一ヵ月ほど前に、B&OのBeosystem 9000cのことを書いた。
型番からわかるように、Beosystem 9000の復刻(再構築)版である。

写真をみるかぎり、見事な仕上がりだ。
Beosystem 9000cをみて、パチモン的新製品という人はいないはずだ。

この項で書いているパチモン的新製品。
今度はQUADから登場する。

33と303の復刻モデルが、そうである。
QUADのウェブサイトのトップページに写真が公開されている。

のっぺりしているな、が最初の感想だった。
見慣れれば、そんなふうに感じなくなるのか。

QUADの33と33のサイズ、そしてデザインのままに、
最新の技術を投入してくれれば──、と思ったことは何度もある。

今回の33と303の復刻はそれにあたるといえば、そうなるのだろうが、
そこにパチモン的新製品臭を感じてしまう。

自社の過去の製品のパチモン的新製品を出すことが、流行りつつあるのか。

Date: 5月 17th, 2024
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その42)

その37)と(その38)で、四つのマトリクスのことを書いた。

アクティヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択、
アクティヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択。

この四つのマトリクスが考えられる。

その41)で例に挙げたダイヤトーンのP610は、パッシヴなスピーカーといえる。

このP610を、どう鳴らすのか。
アクティヴな聴き手とパッシヴな聴き手が、P610を鳴らすとして、
同じ組合せで鳴らすとは思えないし、
たとえ同じ組合せであったとしても、鳴らし方は違ってくるし、
結果として鳴ってくる音は、違って当然である。

その音を聴いた人はどう感じるのか。
パッシヴな聴き手が鳴らしたP610の音を聴いて、P610らしい音ですね、という感想をもつのか。
アクティヴな聴き手が鳴らすP610の音を、P610らしくない音と感じるのか。

P610は16cm口径のフルレンジユニットだから、高性能をねらったモデルではない。
ダイナミックレンジも周波数レンジもほどほどのところでまとまっている。

いいかえれば、鳴らし手の要求すべてに十全に応えるだけの性能をもたない。
そういうP610だから、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手が、
それぞれ鳴らす音に違いはあっても、その違いは大きく出るのか、
もしくはさほど大きな違いとはならないのか。

同じダイヤトーンの2S305を、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手が鳴らした場合、
さらにはもっと新しいDS10000の場合は、どうなるのだろうか。

スピーカー(変換器)としての性能の高さによりかかってしまえば、
むしろ違いは小さくなっていくだろう。

上記の四つのマトリクスを考えてはみたものの、
実際のところ、それらの音を聴くことはまずない。

それでも、このことを考えずに、日本の音について語れるのだろうか。

Date: 5月 16th, 2024
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その13)

5月26日(日曜日)開催の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会、
そこで鳴らすのはシーメンスのオイロダイン。

野口晴哉氏がオイロダインを手に入れられたのがいつなのかは知らない。
かなり以前のはずで、五十年は優に超えているはず。

それゆえコンディションが気になるところだが、
非常に程度がよかった。後部にカバーが掛けられていたことが幸いしてのことだが、
ウーファーのコーン紙が非常にきれいである。シミひとつない、と言い切れるほどだ。

コーン紙だけではない、全体にほんとうにコンディションがいい。
このオイロダインを鳴らせるのか。
そうおもうだけでわくわくしてしまう。

前売り券は完売で、当日券の発売もないので、
こんなことを書くのは少し気が引けるのだが、
それでも書いておきたくなるほどのコンディションなのだ。

Date: 5月 16th, 2024
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その18)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
自恃があってこそだ。

Date: 5月 15th, 2024
Cate: ディスク/ブック

“盤鬼”西条卓夫随想録(達成後……けれど)

「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディングは達成して、
2月には手元に届くはずだったが、結局届かず──、と二ヵ月前に書いた。

4月にも届かなかった。5月、あと半分あるけれど無理であろう。
かなりぐちゃぐちゃになっている模様だからだ。

ラジオ技術の進行具合からみても、
年内に出ればいいかな、ぐらいの気持でいるしかないようだ。

Date: 5月 15th, 2024
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その20)

終のスピーカーとは直接関係ないようなことかもしれないが、
特別なスピーカーを持たない人がいてもかまわないと思っている──、
けれど、それがオーディオ評論家となると違ってくる。

これも人によって違ってくることなのはわかっている。
それでも特別なスピーカーを持たない(持っていないであろう)オーディオ評論家の
いっていること書いていることは、私は信用できないと感じている。

信用できない──、がいいすぎならば、薄っぺらだと感じている。

Date: 5月 14th, 2024
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その19)

より完璧に近いスピーカー、最高といえるスピーカーが、
終のスピーカーとなることは絶対にない、といいきる。

その人にとって特別なスピーカーだけが、
終のスピーカーとして選ばれる(なっていく)ものなのだろう。

瀬川先生にとって特別なスピーカーは、やはりAXIOM 80だったはずだ。

Date: 5月 13th, 2024
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その12)

四日前の5月9日、
ノイズキャンセリングできる「遮音カーテン」が登場』というニュースが目についた。

詳しいことはリンク先を参照していただきたいが、
やっとこういうモノが実用になる時代が来た、と思いながら読んでいた。

このノイズキャンセリングが可能な遮音カーテンの性能が向上すれば、
外から入ってくるノイズをキャンセリングするだけでなく、
部屋の中の音までもキャンセリングしてくれるようになる。

つまり疑似的な無響室が作れるようになるだろう。

そして私がいちばん期待していることは、その一歩先であり、
遮音カーテンが新たな残響を作り出してほしい、ということだ。

疑似的な無響室が可能になれば、
その空間は疑似的には広くできるはずでもある。
そう錯覚させることはできるだろう。

その上で、残響を遮音カーテンが作り出すことで、
理想的な音響特性を作り出せる可能性を感じている。

残響時間、そのスペクトラムなどこまかなパラメータを調整することで、
文字通り、部屋をコンサートホールへと変えることが夢ではなくなる。

個人的にはリスニングルームをコンサートホールにしたいわけではないが、
この遮音カーテンのもつ可能性をあれこれ考えてみるのは楽しいだけでなく、
オーディオがこれから先、趣味としてずっと続いていくためにも、必要だと思う。

Date: 5月 12th, 2024
Cate: ショウ雑感

2024年ショウ雑感(その4)

(その1)で、今年のOTOTENには、
ジャーマン・フィジックスの輸入元のタクトシュトックが出展しないようだ、と書いた。

5月9日の時点でも、出展社のところに、タクトシュトックの名はない。

6月8日、9日、
京都オーディオフェスティバルが開催される。
こちらにタクトシュトックは出展する。

昨年のショウ雑感(その7)で、
2024年のOTOTENでは、
オーディオショウとしては初めて、
ジャーマン・フィジックス(ベンディングウェーヴ)とMQA、
この組合せの音が鳴るのかもしれない──、と書いたが、
少なくとも東京では聴けそうにない。

そのかわり京都では聴けるのだろうか。

Date: 5月 12th, 2024
Cate: High Resolution

MQAのこれから(と新製品)

中国のブランド、SHANLINGから、ポータブル型Dプレーヤー、
EC Miniが発売になっている。

ソーシャルメディアの広告欄で表示されて先ほど知ったわけだが、
いつもなら、リンク先をクリックしたりはしない。
けれど、今回はMQAのロゴが本体にあった。なのでリンク先(amazon)を見てみた。

ポータブル型CDプレーヤーといっても、CDジャケットとほぼ同サイズなわけではなく、
多少大きい。その分、RCA出力も持つ。
ポータブル型なのでバッテリー駆動だ。

欲しいかといえば、そうではないけれど、
聴いてみたい製品ではある。

MQA-CDが再生できる製品としては、最も安価で小型であるからだ。

Date: 5月 11th, 2024
Cate:

音の種類(その10)

オーディオ歴がまったく同じ人が二人いたとしても、
同じ音を聴いてきているわけではない。

住んでいるところ、周りにオーディオマニアがいたのかどうか、
そんないろいなことが違ってきて、
同じころにオーディオに関心を持った二人でも、
最初に感激したオーディオ機器が同じではなかったりする。

オーディオを長くやっていれば、
オーディオ機器を一度も買いなおしたことがないという人はいないだろう。

このことに関しても、買い替えの頻度の高い人もいれば、
めったに買い替えない人もいる。

オーディオ店やオーディオショウに積極的に足を運び、
オーディオマニアのところにも訪問したりすることに積極的な人もいれば、
そういうことに消極的な人もいるわけで、
つまりは何がいいたいかというと、オーディオ歴が同じでも、
同じくらい熱心に取り組んでいたとしても、
この二人がそれまでのオーディオ歴のなかで、聴いてきた音の種類は違う、ということ。

そして、それは積極的に買い替え、試聴をしてきた人のほうが、
聴いてきた音の種類が多いわけではない、ということ。

Date: 5月 10th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜を終えて(その8)

ウェスターン・エレクトリックの757Aについて、
まだまだ書きたいことがある。

でも、今回はこのへんにしておこう。
6月5日のaudio wednesdayでも、757Aを鳴らす。
三時間、すべて757Aの時間だ。

そこでもまた書きたいことが、いろいろと出てくるはずだから。

今回、757Aでかけた曲は、
カザルス・トリオ(ティボー、コルトー、カザルス)による
ハイドンのピアノ三重奏曲 第二十五番(第一楽章と第二楽章)、
1927年の録音と、
カザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ 第一番(第一楽章)、
1953年の録音である。

この後に、カザルスによるバッハの無伴奏チェロ組曲をかけるつもりだったが、
アンカーのモバイルバッテリーがちょうど残量ゼロになったため、かけずじまいになってしまった。

壁のコンセントからAC電源をとれば、音は鳴らせるのだけど、
次回の楽しみということで、カザルスのバッハは聴いていない(かけていない)。

Date: 5月 9th, 2024
Cate: 使いこなし

スピーカー・セッティングの定石(その6)

三十分ほど前に、KEFのModel 105 SeriesIIを鳴らしている友人から連絡があった。
スピーカーのセッティングについてだった。

そういえば──、と思い出したのは、105 SeriesIIのエンクロージュアの角度についてだった。
この項の(その1)を書き始める十年前くらいから、
ウーファーに関しては聴き手に向って角度をつけるよりも、
正面を向ける、つまり後の壁と平行になるように置く。

これがいい結果を生むのではないか。そう思うようになっていた。
もちろん中高域に関しては、聴き手に向って振るように置く。

こういうセッティングが可能になるのは、主に自作スピーカーで、
低音用のエンクロージュアの上に、
中高域のユニットが独立して置かれている場合では容易だが、
既製品のスピーカーシステムでは、ほとんどが無理である。

KEFのModel 105はこういうセッティングを可能にした。
105以前に、そういうスピーカーシステムがあったのかどうかは寡聞にして知らない。

友人は最初のころは、
105のエンクロージュアも聴き手に向けて角度をつけたセッティングだったが、
最近になってエンクロージュアは角度をつけずに、
上部の中高域ユニットのみ聴取ポイントに向けて角度をつけるセッティングに変更。

そのことによって、バランスがとりやすくなった、とあった。

そうだろうな、と思いながら読んでいた。

ただし自作スピーカーでも、それぞれのユニットが独立していて、
それぞれ角度を自由につけられる場合でも、
ウーファーの受持帯域が広い場合、
つまりウーファーのカットオフ周波数が高い場合には、
必ずしもいい結果が得られるとは限らない、と私は感じている。

500Hz以下くらいの低いカットオフ周波数が好ましいようである。

Date: 5月 8th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜を終えて(その7)

ウェスターン・エレクトリックの757Aを聴き終って、思い出していたのが、
吉田秀和氏の、ゼルキンについて書かれた文章だった。
以前、別項で引用しているが、もう一度読んでほしい。
     *
 そのうち、私は、レコード会社の人からきいた、一つのエピソードを思い出した。
 もう大分前のことになるが、現代の最高のピアニストの一人、ルドルフ・ゼルキンが日本にきた時、その人の会社でレコードを作ることになった。ゼルキンはベートーヴェンのソナタを選び、会社は、そのために日本で最も優秀なエンジニアとして知られているスタッフを用意した。日本の機械が飛び切り上等なことはいうまでもない。約束の日、ゼルキンはスタジオにきて、素晴らしい演奏をした。そのあと彼は、誰でもする通り、録音室に入ってきて、みんなといっしょにテープをきいた。ところが、それをきくなり、ゼルキンは「これはだめだ。このまま市場に出すのに同意するわけにいかない」と言い出した。理由をきくと「これはまるでベートーヴェンの音になっちゃいない」という返事なので、スタッフ一同、あっけにとられてしまった。今の今まで、そんな文句をいわれた覚えがないのである。
 ことわるまでもないかも知れないが、レコードというものは、音楽家が立てた音をそっくりそのまま再現するという装置ではない。どんなに超忠実度の精密なメカニズムであろうと、何かを再現するに当って、とにかく機械を通じて行う時は、そこにある種の変貌、加工が入ってこないわけにはいかないのである。そう、写真のカメラのことを考えて頂ければ良い。カメラは被写体をあるがままにとる機械のようであって、実はそうではない。カメラのもつ性能、レンズとかその他のもろもろの仕組みを通過して、像ができてくる時、その経過の中で、被写体は一つの素材でしかなくなる。あなたの鼻や目の大きさまで変ってみえることがあったり、まして顔色や表情や、そのほかのいろんなものが、カメラを通じることにより、あるいは見えなくなったり、より強度にあらわになったりする。そのように、音楽家が楽器から出した響きも、録音の過程で、音の高い部分、中央の部分、低い部分のそれぞれについて、あるいはより強調され、ふくらませられたり、あるいはしぼられ、背後にひっこめられたり等々の操作を通過してゆく間に、変貌してゆく。
 その時、「本来の音」を素材に、そこから、「どういう美しさをもつ音」を作ってゆくかは、技師の考えにより、その腕前にかかっている。レコードの装置技師は、いわゆる音のコックさんなのだ。もちろん、それでも、いや、それだから、すぐれた技師は、発音体から得られた本来の音のもつ「美質」を裏切ることなしに、その人その人のもつ音の魅力をよく伝達できるような「音」を作るといってもいいのだろう。
 だが、ゼルキンが「これはベートーヴェンの音じゃない」といった時、日本の最も優秀な技術者たちは、その意味を汲みかねた。「何をもってベートーヴェンの音というのか?」困ったことに、それをいくら訊きただしてみても、ゼルキン先生自身、それ以上言葉でもって具体的に説明することができず、ただ「これはちがう、ベートーヴェンじゃない」としかいえない。それで、せっかくの企画も実を結ばず、幻のレコードに終ってしまった──というのである。
(「ベートーヴェンの音って?」より)
     *
5月1日にかけたカザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ。
「これはまるでベートーヴェンの音になっちゃいない」、
絶対に、そうはいわれなかったという自負はある。