Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その6)

JBLのD130というフルレンジユニットとは、いったいどういうスピーカーユニットなのか。

JBLにD130という15インチ口径のフルレンジユニットがあるということは早い時期から知っていた。
それだけ有名なユニットであったし、JBLの代名詞的なユニットでもあったわけだが、
じつのところ、さしたる興味はなかった。
当時は、まだオーディオに関心をもち始めたばかり若造ということもあって、
D130はジャズ専用のユニットだから、私には関係ないや、と思っていた。

1979年にステレオサウンド別冊としてHIGH-TECHNIC SERIES 4が出た。
フルレンジユニットだけ一冊だった。

ここに当然のことながらD130は登場する。
試聴は岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によって、
1辺2.1mの米松合板による平面バッフルにとりつけられて行われている。
フルレンジの比較試聴としては、日本で行われたものとしてここまで規模の大きいものはないと思う。
おそらく世界でも例がないのではなかろうか。

この試聴で使われた平面バッフルとフルレンジの音は、
当時西新宿にあったサンスイのショールームでも披露されているので実際に聴かれた方もおいでだろう。
このときほと東京に住んでいる人をうらやましく思ったことはない。

HIGH-TECHNIC SERIESでのD130の評価はどうだったのか。
岡先生、菅野先生とも、エネルギー感のものすごさについて語られている。
瀬川先生は、そのエネルギー感の凄さを、もっと具体的に語られている。
引用してみよう。
     *
ジャズになって、とにかくパワーの出るスピーカーという定評があったものですから、どんどん音量を上げていったのです。すると、目の前のコーヒーカップのスプーンがカチャカチャ音を立て始め、それでもまだ上げていったらあるフレーズで一瞬われわれの鼓膜が何か異様な音を立てたんです。それで怖くなって音量を絞ったんですけど、こんな体験はこのスピーカー以外にはあまりしたことがありませんね。菅野さんもいわれたように、エネルギー感が出るという点では希有なスピーカーだろうと思います。
     *
このときのD130と同じ音圧を出せるスピーカーは他にもある。
でもこのときのD130に匹敵するエネルギー感を出せるスピーカーはあるのだろうか。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その5)

D101は資料によると”General Purpose”と謳われている。
PAとして使うことも考慮されているフルレンジユニットであった。

よくランシングがアルテックを離れたのは
劇場用の武骨なスピーカーではなく、家庭用の優秀な、
そして家庭用としてふさわしい仕上げのスピーカーシステムをつくりたかったため、と以前は言われていた。
その後、わかってきたのは最初からアルテックとの契約は5年間だったこと。
だから契約期間が終了しての独立であったわけだ。

アルテックのとの契約の詳細までは知らないから、
ランシングがアルテックに残りたければ残れたのか、それとも残れなかったのかははっきりとしない。
ただアルテックから離れて最初につくったユニットがD101であり、
ランシングがアルテック在籍時に手がけた515のフルレンジ的性格をもち、
写真でみるかぎり515とそっくりであったこと、そしてGeneral Purposeだったことから判断すると、
必ずしも家庭用の美しいスピーカーをつくりたかった、ということには疑問がある。

D101ではなく最初のスピーカーユニットがD130であったなら、
その逸話にも素直に頷ける。けれどD101がD130の前に存在している。
ランシングは自分が納得できるスピーカーを、
自分の手で、自分の名をブランドにした会社でつくりたかったのではないのか。

だからこそ、D101とD130を聴いてみたい、と思うし、
もしD101に対してのアルテック側からのクレームがなく、そのままD101をつくり続け、
このユニットをベースにしてユニット開発を進めていっていたら、おそらくD130は誕生しなかった、ともいえよう。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十九 K+Hのこと)

30年近く前に読んだ記事の中に、新時代の戦闘機はコンピューターによる制御を組み込むことで、
それまでは腕のいいベテランパイロットにしかできなかったアクロバット飛行が、
ふつうの技倆のパイロットでも安全に可能になる、とあった。

つまりアクロバット飛行は、わざと不安定な飛行状態をつくりだすことによって可能になるもので、
安定に飛行するように設計されているのを、そういう不安定な状態にもっていき制御することの難しさがある。
だからあえて不安定な飛行をする設計をしたうえで、コンピューター制御によって安定な飛行状態にする。
そんな内容だったと記憶している。

それが実現されているのかどうかは、わからないが、
少なくともこの記事は、より高性能を求め実現するためにはハードウェアの進歩だけでは限界があり、
ハードウェアとソフトウェアがひとつになることで進化できる、と、いまだったらそう読み取れる。

私がK+HのO500Cについて触れてきたのは、実のはこのことを、
非常に高いレベルで実現したスピーカーシステムだとみているからだ。

これまでにもアンプをスピーカーシステム内に組込み、それだけでなく電気的な補整を行っているものはあった。
けれど、それらがO500Cのレベルにまで達していたかというと、私の目にはそうは見えない。
多くがハードウェアのみであったり、ソフトウェアでのコントロールを導入していても、
ハードウェアとソフトウェアの融合とまでいえるところには達していなかったのではないか。

私が知らないだけで、他にもO500Cと同じレベルに達しているスピーカーシステムがある可能性はある。
でも、まだごく少ないはずだし、おそらくそれはプロ用のスピーカーシステムであろう、O500Cがそうであるように。

ここまでお読みくださって、なぜドイツのメーカーのK+Hのことを書いているのに、
タイトルは「BBCモニター考」なのか疑問に思われただろう。

あえてこのタイトルにしたのは、O500Cを生み出すに至った測定方法は元をたどれば、
BBCの研究開発にいくつくからだ。
「現代スピーカー考」に書いたこととダブるからこれ以上は書かないが、
BBCに在籍していたショーターが実現を夢見ていたスピーカーシステム像が、
K+HのO500Cによって実現された、と私はそう思っているからだ。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十八 K+Hのこと)

部屋に残響特性がなかったとしたら、
ようするに無響室で聴くのと同じことだから部屋とスピーカーシステムとの相性は存在しなくなる。
でも、誰ひとりとして無響室でスピーカーと向き合って音楽を聴きたいと思っている人はいない。

スピーカーシステムの累積スペクトラムは、スピーカーシステム残響特性だと書いた。
あるスピーカーシステムの累積スペクトラムで、
たとえば100Hzあたりの減衰がなかなかおさまらずに、しかもうねったような感じになっていたら、
そしてそのスピーカーシステムを設置した部屋に100Hzの強烈な定在波が発生していたら……。
部屋の悪いところ、スピーカーシステムのそういう悪いところが一致したら、どうなるかは容易に想像がつく。

ならばスピーカーシステムの累積スペクトラムが、K+HのO500Cのように見事な特性だったら、
部屋のクセがスピーカーのクセを強調するということはなくなる。
それで、その部屋固有の響きが消えてなくなるわけではないけれど、
部屋の悪さがスピーカーシステムによってことさら強調されることはなくなるはずだ。

結局、音が鳴り止んでも、つまりアンプからの入力がゼロになっても、
どんなスピーカーシステムでも、ほんのわずかとはいえ、ユニットからエンクロージュアから音が出ている。
この音が尾を引くようなスピーカーシステムは、部屋の影響を受ける、というか、
部屋の悪さと相乗効果を起しやすいため、場合によっては手がつけられなくなる。
この問題点は、グラフィックイコライザーで、
その問題となっている周波数をぐっとレベルをさげたところで解消されることはない。

グラフィックイコライザーだけでなく、パラメトリックイコライザー、トーンコントロールも含めて、
電気的に周波数特性を変化させることで解消できることはあるし、うまく作用するところもある。
けれどそうでないところも確実にある。
どんなにいじっても電気的には解消できない問題点がひどく発生することもあるし、
そういう電気的な周波数変化でいじってはいけないところがある。

Date: 8月 3rd, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その4)

一方のJBL(そしてランシング)はどうだろうか。

ランシングは1902年1月14日にイリノイ州に生れている。
1925年、彼はユタ州ソルトレーク・シティに移っている。西へ向ったわけだ。
ここでコーン型スピーカーの実験・自作をおこない、この年の秋、ケネス・デッカーと出逢っている。
1927年、さらに西、ロサンジェルスにデッカーとともに移り、サンタバーバラに仕事場を借り、
3月9日、Lansing Manufacturing Company はカリフォルニア州法人として登録される。
この直前に彼は、ジェームズ・マーティニから、ジェームズ・バロー・ランシングへと法的にも改名している。

このあとのことについて詳しくしりたい方は、
2006年秋にステレオサウンドから発行された「JBL 60th Anniversary」を参照していただきたい。
この本の価値は、ドナルド・マクリッチーとスティーヴ・シェル、ふたりによる「JBLの歴史と遺産」、
それに年表にこそある、といってもいい。
それに較べると、前半のアーノルド・ウォルフ氏へのインタヴュー記事は、
読みごたえということで(とくに期待していただけに)がっかりした。
同じ本の中でカラーページを使った前半と、
そうではない後半でこれほど密度の違っているのもめずらしい、といえよう。

1939年,飛行機事故で共同経営者のデッカーを失ったこともあって、
1941年、ランシング・マニファクチェアリングは、アルテック・サーヴィスに買収され、
Altec Lansing(アルテック・ランシング)社が誕生することとなる。
ランシングは技術担当副社長に就任。
そして契約の5年間をおえたランシングは、1946年にアルテック・ランシング社からはなれ、
ふたたびロサンジェルスにもどり、サウススプリングに会社を設立する。
これが、JBLの始まり、となるわけだ。
(ひとつ前に書いているように、1943年にはアルテックもハリウッドに移転している。)

とにかく、ランシングは、つねに西に向っていることがわかる。

Date: 8月 1st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その3)

D101とD130の違いは、写真をみるだけでもまだいくつかある。
もし実物を比較できたら、もっといくつもの違いに気がつくことだろう。
何も知らず、D101とD130を見せられたら、同じ会社がつくったスピーカーユニットとは思えないかもしれない。

D101が正相ユニットだとしたら、D130とはずいぶん異る音を表現していた、と推察できる。
アルテックとJBLは、アメリカ西海岸を代表する音といわれてきた。
けれど、この表現は正しいのだろうか、と思う。
たしかに東海岸のスピーカーメーカーの共通する音の傾向と、アルテックとJBLとでは、
このふたつのブランドのあいだの違いは存在するものの、西海岸の音とひとくくりにしたくなるところはある。
けれど……、といいたい。
アルテックは、もともとウェスターン・エレクトリックの流れをくむ会社であることは知られている。
アルテックの源流となったウェスターンエレクトリックは、ニューヨークに本社を置いていた。
アルテックの本社も最初のうちはニューヨークだった。
あえて述べることでもないけれど、ニューヨークは東海岸に位置する。

アルテックが西海岸のハリウッドに移転したのは、1943年のことだ。
1950年にカリフォルニア州ビヴァリーヒルズにまた移転、
アナハイムへの工場建設が1956年、移転が1957年となっている。
1974年にはオクラホマにエンクロージュア工場を建設している。

アルテックの歴史の大半は西海岸にあったとはいうものの、もともとは東海岸のメーカーである。
つまりわれわれがアメリカ西海岸の音と呼んでいる音は、アメリカ東海岸のトーキーから派生した音であり、
アメリカ東海岸の音は、最初から家庭用として生れてきた音なのだ。

Date: 8月 1st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その2)

タイムマシーンが世の中に存在するのであれば、
オーディオに関することで幾つか、その時代に遡って確かめたいことがいくつもある。
そのひとつが、JBLのD101とD130の音を聴いてみることである。

D101はすでに書いてように、アルテックの同口径のウーファーをフルレンジにつくり直したように見える。
古ぼけた写真でみるかぎり、センターのアルミドーム以外にはっきりとした違いは見つけられない。

だから、アルテックからのクレームがきたのではないだろうか。
このへんのことはいまとなっては正確なことは誰も知りようがないことだろうが、
ただランシングに対する、いわば嫌がらせだけでクレームをつけてきたようには思えない。
ここまで自社のウーファーとそっくりな──それがフルレンジ型とはいえ──ユニットをつくられ売られたら、
まして自社で、そのユニットの開発に携わった者がやっているとなると、
なおさらの、アルテック側の感情、それに行動として当然のことといえよう。
しかもランシングは、ICONIC(アイコニック)というアルテックの商標も使っている。

だからランシングは、D130では、D101と実に正反対をやってユニットをつくりあげた。
まずコーンの頂角が異る。アルテック515の頂角は深い。D101も写真で見ると同じように深い。
それにストレート・コーンである。
D130の頂角は、この時代のユニットのしては驚くほど浅い。

コーンの性質上、まったく同じ紙を使用していたら、頂角を深くした方が剛性的には有利だ。
D130ほど頂角が浅くなってしまうと、コーン紙そのものを新たにつくらなければならない。
それにD130のコーン紙はわずかにカーヴしている。
このことと関係しているのか、ボイスコイル径も3インチから4インチにアップしている。
フレームも変更されている。
アルテック515とD101では、フレームの脚と呼ぶ、コーン紙に沿って延びる部分が4本に対し、
D130では8本に増え、この部分に補強のためにいれている凸型のリブも、
アルテック515、JBLのD101ではコーンの反対側、つまりユニットの裏側から目で確かめられるのに対し、
D130ではコーン側、つまり裏側を覗き込まないと視覚的には確認できない。

これは写真では確認できないことだし、なぜかD101をとりあげている雑誌でも触れられていないので、
断言はできないけれど、おそらくD101は正相ユニットではないだろうか。
JBLのユニットが逆相なのはよく知られていることだが、
それはD101からではなくD130から始まったことではないのだろうか。

Date: 7月 31st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その1)

ブランド名としてのJBLときいて、思い浮べるモノは人によって異る。
現在のフラッグシップのDD66000をあげる人もいるだろうし、
1970年代のスタジオモニター、そのなかでも4343をあげる人、
オリンパス、ハークネス、パラゴン、ハーツフィールドといった、
コンシューマー用スピーカーシステムを代表するこれらをあげる人、
最初に手にしたJBLのスピーカー、ブックシェルフ型の4311だったり、20cm口径のLE8Tだったり、
ほかにもランサー101、075、375、537-500など、いくつもあるはず。

けれどJBLといっても、ブランドのJBLではなく、James Bullough Lansing ということになると、
多くの人が共通してあげるモノは、やはりD130ではないだろうか。
私だって、そうだ。James Bullough Lansing = D130 のイメージがある。
D130を自分で鳴らしたことはない。実のところ欲しい、と思ったこともなかった。
そんな私でも、James Bullough Lansing = D130 なのである。

D130は、James Bullough Lansing がJBLを興したときの最初のユニットではない。
最初に彼がつくったのは、
アルテックの515のセンターキャップをアルミドームにした、といえるD101フルレンジユニットである。
このユニットに対してのアルテックからのクレームにより、
James Bullough Lansing はD101と、細部に至るまで正反対ともいえるD130をつくりあげる。
そしてここからJBLの歴史がはじまっていく。

D130はJBLの原点ではあっても、いまこのユニットを鳴らすとなると、意外に使いにくい面もある。
まず15インチ口径という大きさがある。
D130は高能率ユニットとしてつくられている。JBLはその高感度ぶりを、0.00008Wで動作する、とうたっていた。
カタログに発表されている値は、103dB/W/mとなっている。
これだけ高能率だと、マルチウェイにしようとすれば、中高域には必然的にホーン型ユニットを持ってくるしかない。
もっともLCネットワークでなく、マルチアンプドライヴであれば、低能率のトゥイーターも使えるが……。
当然、このようなユニットは口径は大きくても低域を広くカヴァーすることはできない。
さらに振動板中央のアルミドームの存在も、いまとなっては、ときとしてやっかいな存在となることもある。

これ以上、細かいことをあれこれ書きはしないが、D130をベースにしてマルチウェイにしていくというのは、
思っている以上に大変なこととなるはずだ。
D130の音を活かしながら、ということになれば、D130のウーファー販である130Aを使った方がうまくいくだろう。

Date: 7月 27th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その39・補足)

ジェンセン、ルンダール、マリンエアまで候補としてあげておきながら、
ひとつ忘れていたトランス・メーカーを思い出した。
ドイツのHAUFEだ。

ドイツのオーディオ機器に詳しい方ならご存じの方もおられるだろうし、
メーカー名は知らなくても、この会社が作っているトランスの写真を見れば、
どこかで見たことがある、と思われるはず。

EMTの管球式イコライザーアンプに搭載されているトランス、
ノイマンの業務用機器に搭載されていたトランスを作っていた会社が、HAUFEだ。
この会社の感心、というよりも凄いところは、
オーダーを出せば、すでに製造中止になっているトランスでも作ってくれるところにある。
まったく同じモノかどうかは断言できないけれど、少なくとも期待を裏切るようなモノは作ってこないだろう。
だからといって、昔のトランスの復刻だけをやっているわけではない。

このHAUFE社のトランスも、候補のひとつしてあげておく。

Date: 7月 24th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その42)

パラゴンでグラシェラ・スサーナを聴く──、
そんなことを思うようになったのは、1977年の秋ごろからだった。
ステレオサウンドからそのころ出版された「HIGH-TECHNIC SERIES-1」に載っていた
瀬川先生の文章を読んだ時からだった。
     *
EMTのプレーヤー、マーク・レビンソンとSAEのアンプ、それにパラゴンという組合せで音楽を楽しんでいる知人がある。この人はクラシックを聴かない。歌謡曲とポップスが大半を占める。
はじめのころ、クラシックをかけてみるとこの装置はとてもひどいバランスで鳴った。むろんポップスでもかなりくせの強い音がした。しかし彼はここ二年あまりのあいだ、あの重いパラゴンを数ミリ刻みで前後に動かし、仰角を調整し、トゥイーターのレベルコントロールをまるでこわれものを扱うようなデリケートさで調整し、スピーカーコードを変え、アンプやプレーヤーをこまかく調整しこみ……ともかくありとあらゆる最新のコントロールを加えて、いまや、最新のDGG(ドイツ・グラモフォン)のクラシックさえも、絶妙の響きで鳴らしてわたくしを驚かせた。この調整のあいだじゅう、彼の使ったテストレコードは、ポップスと歌謡曲だけだ。小椋佳が、グラシェラ・スサーナが、山口百恵が松尾和子が、越路吹雪が、いかに情感をこめて唱うか、バックの伴奏との音の溶け合いや遠近差や立体感が、いかに自然に響くかを、あきれるほどの根気で聴き分け、調整し、それらのレコードから人の心を打つような音楽を抽き出すと共に、その状態のままで突然クラシックのレコードをかけても少しもおかしくないどころか、思わず聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴るのだ。
     *
14歳の私は、単純にも「グラシェラ・スサーナ」の名前が出てきたこと、
そして「いかに情感をこめて唱うか」、これだけでいつかはパラゴンで……と思いはじめていた。
そのことをずっといままで思いつづけてきたわけではない。
忘れていたころもあった。ときどき思い出すこともあった。
その間に、パラゴンというスピーカーシステムに関心を失ってしまったこともある。
揺れ動きながら、いまはここに書いてきたことを思っている、ということだ。

揺れは、いまもある。揺れのない感性というものはあるのだろうか。
そう思うし、そういう揺れのある感性の充足も、オーディオのひとつの目的だと思う。

自分の求めてる音、表現したい音は、こうだ、とひとつに決めつけることは、正直どうかな、と思う。
揺れながら、いつかはそれを収束させていけばいいことであり、
こうやってあれこれ組合せを思い描いていくのも、
私にとっては揺れを楽しみながら収束させていく過程なのかしもしれない。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その41)

だから、LNP2の出力にいれるトランスをどういう基準で選ぶかというと、
グラシェラ・スサーナの歌を鳴らしたときに、
どちらがより夜の匂いを感じさせてくれるかということも重要になってくる。

これでアンプも決った。残るはCDプレーヤーだが、ここも同じように夜の匂いを感じさせてくれるモノを、
重視しての選択になるかといえば違う。
ここは純粋にディスクに収められているものを細大漏らさず引き出してくれるものが欲しい。
それにSACDができれば再生できるモノがいい。
となると数は絞られてきて、さらに使いたくないモノがあるから、ますます候補は少なくなる。

それでもひとつだけ、ぜひ聴いてみたいと思っている本命が、
CHプレシジョンのSACDプレーヤー、D1である。
360万円と高価なプレーヤーであるし、見た目もすこし言いたくなるところは感じているけれど、
信頼できる耳の持主ふたりが(ひとりは、すでに購入ずみ)、このD1の音を絶賛していた。
その話しぶりからして、そうとうに凄い実力を持つモノだということは確信している。
聴いてもいないモノについて、こんなことは言うのもおかしいことだが、
いま最もいい音を出してくれるプレーヤーの、数少ないモノのひとつと呼べるだろう。

これで組合せがひとつできた。
CHプレシジョンのD1、マークレビンソンのLNP2、オラクルのSi3000、JBLのD44000 Paragonは、
音の入口からみると、新・旧・新・旧というふうに並んでしまった。

この組合せからどんな音がしてくるのかは実際に鳴らしてみないことにははっきりしたことはいえないにしても、
もしこの組合せを手に入れることができれば、真剣に向き合い調整していけば、
求める音が得られるという手ごたえに近い予感はある。

ひとりきりの夜、時間をもてあましたときにグラシェラ・スサーナの歌を聴けば、
きっと……、と思わせてくれるものがあると信じられれば、それでいいじゃないか、とも思う。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: 4343, JBL, 瀬川冬樹

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その13)

瀬川先生が4ウェイ・スピーカーシステムについて語られるのを、
単に周波数特性(振幅特性)の見地からでしか捉えてしまっている人がいる。
そうなってしまうと、瀬川先生がなぜ4ウェイのスピーカーにたどり着かれたのかを見落してしまうことになる。

「瀬川冬樹に興味がないから、別にそんなことを見落してもどうでもいいこと」──、
そんなふうなことが向うから返ってきそうだが、スピーカーシステムに関心があり、
ステレオ再生における音像の成り立ちに肝心がある人ならば、瀬川先生の4ウェイ構想から読み取れるものはある、
読み取れるはずである。

スピーカーの理想像は人によって一致しているところとそうでないところがある。
だから瀬川先生の4ウェイ構想に全面的に同意できない人がいて当然である。
完全なスピーカー構想というものは、まだまだ存在していないのだから。

それでも、あの時点で、なぜこういう4ウェイ構想を考えだされたのかについて考えてゆくことは、
スピーカーの理想について考えていく上でも意味のあることだと思っている。

それに瀬川先生の4ウェイ構想は、
瀬川先生がどういう音(広い意味での「音」)を求められていたのか知る重要な手がかりでもある。

瀬川先生の鳴らされていた音のバランスは、瀬川先生にしか出せないものだった、ときいている。
ただ、このことを鵜呑みにしてしまうと、
いつまでもたっても瀬川先生の音がどういうふうに鳴り響いていたのかはつかめない。

瀬川先生は4343、4345についている3つのレベルコントロールはほとんどいじっていなかった、と発言されている。
つまり周波数スペクトラム的な音のバランスに注意して聴いていても、
そしてそれによる瀬川先生の音を表現した言葉を聞いていても、すこしもそこに近づいたことにはならない。

このブログを書くためにも、瀬川先生の「本」をつくるためにも、
瀬川先生の書かれたもの、語られたものに集中的にふれてきて、
そして10代のころからずっと思い考えてきたことから、実感をもって言えるのは、
瀬川先生の音のバランスの特長は、周波数スペクトラム的なこととは違うところにある、ということだ。

だから、あの時点での4ウェイ構想だ、と理解できる。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター, イコライザー

BBCモニター考(余談・グラフィックイコライザーのこと)

グラフィックイコライザーは進歩してきている。
まず素子数が増えてきて、S/N比も向上してきて、最近では低価格化の方向へも向っている製品もある。
そしてアナログからデジタルへと処理そのものが変化している。

道具としてグラフィックイコライザーが変化・進歩してきているわけだから、
グラフィックイコライザーに対する見方も、変化していって当然だと思う。

昔のグラフィックイコライザーのイメージを引っ張ったまま、
現在の良質なグラフィックイコライザーを判断することはできない。
グラフィックイコライザーに対する捉え方・考え方は、柔軟でありたい。
必要と感じたら使ってみる、試してみたいと思ったら臆せず使ってみる、というふうに、である。

ただひとつ気をつけたいのは聴取位置からすぐに手の届くところにグラフィックイコライザーを、
使いはじめたころは、どうしても置きたくなる。
早く使いこなせるようになるためにも、すぐにツマミをいじれるように、と近くに置いてしまう。
このやり方は、ある期限を決めておいたほうがいい。
そうしないと、いつまでたっても椅子から立たずにいじれることに、面白さとともに楽さをおぼえてしまうからだ。

それまでだったら、どこか気になる音が出ていたら、こういう音を出したいと思ったら、
椅子から立ち上がりスピーカーのところに行ったり、アンプやプレーヤーのところへ向った。
それがグラフィックイコライザーが聴取位置のすぐ近くにあれば、
つい楽な方を選んでしまうことに、本人が気がつかぬうちに陥っている。
そうなってくると、グラフィックイコライザーに頼り過ぎることへ向う危険性が生れてくる。

グラフィックイコライザーは、アナログだろうがデジタルだろうが電気的に信号処理することに変りはない。
この電気的だけの信号処理に頼り過ぎてしまうと、つまり電気的だけで合せてしまうと、
ある録音(レコード)ではうまくいくけれども、もっといえば、あるレコードのある一部分(パッセージ)だけは、
とてもうまくなっても、そこからはずれてしまうと精彩を欠いた音になったり、
そのまま違う録音を鳴らしたら、ひどい場合には音楽を変質させてしまうこともないわけではない。

そうなると、今度は、いまどきのグラフィックイコライザーの中にはメモリー機能を搭載しているものもあるから、
音楽のジャンルや録音、レーベルの違いなどによって、イコライザーカーヴをいくつも設定して、
それらを再生するたびに違うカーヴを呼び出すことになる。

それでも音楽は時間とともに変化していくものである。ひとつの曲の中でも音楽は変化している。
グラフィックイコライザーに頼り過ぎた使い方から生じたカーヴは、いわゆるスタティックなバランスであって、
ごく狭い範囲ではそれが活きることはあっても、動的な音楽の変化には対応し切れず、
中には曲の途中でカーヴをいじるということになる。

こうなってしまったら、グラフィックイコライザーに頼り過ぎである。

椅子から立ち上ること、離れることを忘れてしまっては、うまくいかない。
それに似た陥し穴が、いまPCオーディオ、コンピューターオーディオと呼ばれているものにもある。

Date: 7月 22nd, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・モアレ音響について)

音のモアレ効果について調べていくと、作曲家の住谷智氏が、
1960年代に、音にもモアレ効果があることを発見され、
音響の多層化(モアレ・サウンド)と名づけられ発表されている、ということがわかった。
論文も発表されている、とのこと。
住谷氏の「降り注ぐ流星群」という作品は、モアレ音響を使ったものらしい。

住谷氏がモアレ・サウンドと呼ばれている効果と、
私がジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットの音を聴いて感じ思ったモアレ的な効果とが、
まったく同じものなのか、ある程度同じものなのか、それともまるっきり違うものなのかは、
住谷氏の論文を読んでいないので、何もはっきりしないが、
真のステレオ再生にとって、精確でどこにも乱れのない波紋が、
左右ふたつのスピーカーから放射されることが、通常思われている以上に重要なことは共通している気がする。

Date: 7月 22nd, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その12)

オーディオの解説書やカタログなどで、スピーカーからの音が放射される様を弧を描いて表している図がある。
スピーカーから出た音が、きれいな等高線のように描かれ、ステレオだから、とうぜんスピーカーは2本あり、
この等高線のようなきれいな弧は中央で重なり合う。
そこには交点が生れ、等高線は編目のようになっていく。

実際のスピーカーからの音は、これほどきれいな弧を描いているわけではない。
それでも、こういった図を見ていると、モアレについて考えてしまう。

ステレオ再生で、ふたつのスピーカーのあいだに、なぜ音像が浮び上るのか。
このこととモアレが結びつく。
オーディオでは、ふたつのスピーカーからまったく同じ音が放射されることは、まずない。
そのために左右のスピーカーの交わるところでは、ずれ(のような)ものがある。
そのずれ(のような)ものが、視覚的なモアレ同様、音像を立体的に錯覚させているような気がする。

もしそうだとしたら、モアレをより効果的にするためには、それぞれのスピーカーから放射される音が、
微細なところまで、しかも広範囲にわたって乱れのない、
それこそ絵に描いたような等高線を思わせるような波形・放射パターンでなければならないはず。
周波数によって弧が歪んでいたり、スピーカーの正面では比較的きれいな弧でも周辺にいくほど乱れていては、
モアレは最大限の効果を生まないどころか、音像そのものを歪めてしまうことになりはすまいか。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットによる優れた音を聴いていると、
そういうことをつい思ってしまう。
DDD型ユニットからは美しい波紋が、左右からまわりに広がっていく。
スピーカーの中央で、直接音(波紋)が重なり、壁に反射した音(波紋)もまた重なり合う。
それらがうまく作用したときに、輪郭線を感じさせない、まさに立体的な音像が目の前に再現される。

このモアレに似た作用を実現するためにも、指向特性は非常に重要な項目となってくる。