Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 8月 1st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その2)

タイムマシーンが世の中に存在するのであれば、
オーディオに関することで幾つか、その時代に遡って確かめたいことがいくつもある。
そのひとつが、JBLのD101とD130の音を聴いてみることである。

D101はすでに書いてように、アルテックの同口径のウーファーをフルレンジにつくり直したように見える。
古ぼけた写真でみるかぎり、センターのアルミドーム以外にはっきりとした違いは見つけられない。

だから、アルテックからのクレームがきたのではないだろうか。
このへんのことはいまとなっては正確なことは誰も知りようがないことだろうが、
ただランシングに対する、いわば嫌がらせだけでクレームをつけてきたようには思えない。
ここまで自社のウーファーとそっくりな──それがフルレンジ型とはいえ──ユニットをつくられ売られたら、
まして自社で、そのユニットの開発に携わった者がやっているとなると、
なおさらの、アルテック側の感情、それに行動として当然のことといえよう。
しかもランシングは、ICONIC(アイコニック)というアルテックの商標も使っている。

だからランシングは、D130では、D101と実に正反対をやってユニットをつくりあげた。
まずコーンの頂角が異る。アルテック515の頂角は深い。D101も写真で見ると同じように深い。
それにストレート・コーンである。
D130の頂角は、この時代のユニットのしては驚くほど浅い。

コーンの性質上、まったく同じ紙を使用していたら、頂角を深くした方が剛性的には有利だ。
D130ほど頂角が浅くなってしまうと、コーン紙そのものを新たにつくらなければならない。
それにD130のコーン紙はわずかにカーヴしている。
このことと関係しているのか、ボイスコイル径も3インチから4インチにアップしている。
フレームも変更されている。
アルテック515とD101では、フレームの脚と呼ぶ、コーン紙に沿って延びる部分が4本に対し、
D130では8本に増え、この部分に補強のためにいれている凸型のリブも、
アルテック515、JBLのD101ではコーンの反対側、つまりユニットの裏側から目で確かめられるのに対し、
D130ではコーン側、つまり裏側を覗き込まないと視覚的には確認できない。

これは写真では確認できないことだし、なぜかD101をとりあげている雑誌でも触れられていないので、
断言はできないけれど、おそらくD101は正相ユニットではないだろうか。
JBLのユニットが逆相なのはよく知られていることだが、
それはD101からではなくD130から始まったことではないのだろうか。

Date: 7月 31st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その1)

ブランド名としてのJBLときいて、思い浮べるモノは人によって異る。
現在のフラッグシップのDD66000をあげる人もいるだろうし、
1970年代のスタジオモニター、そのなかでも4343をあげる人、
オリンパス、ハークネス、パラゴン、ハーツフィールドといった、
コンシューマー用スピーカーシステムを代表するこれらをあげる人、
最初に手にしたJBLのスピーカー、ブックシェルフ型の4311だったり、20cm口径のLE8Tだったり、
ほかにもランサー101、075、375、537-500など、いくつもあるはず。

けれどJBLといっても、ブランドのJBLではなく、James Bullough Lansing ということになると、
多くの人が共通してあげるモノは、やはりD130ではないだろうか。
私だって、そうだ。James Bullough Lansing = D130 のイメージがある。
D130を自分で鳴らしたことはない。実のところ欲しい、と思ったこともなかった。
そんな私でも、James Bullough Lansing = D130 なのである。

D130は、James Bullough Lansing がJBLを興したときの最初のユニットではない。
最初に彼がつくったのは、
アルテックの515のセンターキャップをアルミドームにした、といえるD101フルレンジユニットである。
このユニットに対してのアルテックからのクレームにより、
James Bullough Lansing はD101と、細部に至るまで正反対ともいえるD130をつくりあげる。
そしてここからJBLの歴史がはじまっていく。

D130はJBLの原点ではあっても、いまこのユニットを鳴らすとなると、意外に使いにくい面もある。
まず15インチ口径という大きさがある。
D130は高能率ユニットとしてつくられている。JBLはその高感度ぶりを、0.00008Wで動作する、とうたっていた。
カタログに発表されている値は、103dB/W/mとなっている。
これだけ高能率だと、マルチウェイにしようとすれば、中高域には必然的にホーン型ユニットを持ってくるしかない。
もっともLCネットワークでなく、マルチアンプドライヴであれば、低能率のトゥイーターも使えるが……。
当然、このようなユニットは口径は大きくても低域を広くカヴァーすることはできない。
さらに振動板中央のアルミドームの存在も、いまとなっては、ときとしてやっかいな存在となることもある。

これ以上、細かいことをあれこれ書きはしないが、D130をベースにしてマルチウェイにしていくというのは、
思っている以上に大変なこととなるはずだ。
D130の音を活かしながら、ということになれば、D130のウーファー販である130Aを使った方がうまくいくだろう。

Date: 7月 27th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その39・補足)

ジェンセン、ルンダール、マリンエアまで候補としてあげておきながら、
ひとつ忘れていたトランス・メーカーを思い出した。
ドイツのHAUFEだ。

ドイツのオーディオ機器に詳しい方ならご存じの方もおられるだろうし、
メーカー名は知らなくても、この会社が作っているトランスの写真を見れば、
どこかで見たことがある、と思われるはず。

EMTの管球式イコライザーアンプに搭載されているトランス、
ノイマンの業務用機器に搭載されていたトランスを作っていた会社が、HAUFEだ。
この会社の感心、というよりも凄いところは、
オーダーを出せば、すでに製造中止になっているトランスでも作ってくれるところにある。
まったく同じモノかどうかは断言できないけれど、少なくとも期待を裏切るようなモノは作ってこないだろう。
だからといって、昔のトランスの復刻だけをやっているわけではない。

このHAUFE社のトランスも、候補のひとつしてあげておく。

Date: 7月 24th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その42)

パラゴンでグラシェラ・スサーナを聴く──、
そんなことを思うようになったのは、1977年の秋ごろからだった。
ステレオサウンドからそのころ出版された「HIGH-TECHNIC SERIES-1」に載っていた
瀬川先生の文章を読んだ時からだった。
     *
EMTのプレーヤー、マーク・レビンソンとSAEのアンプ、それにパラゴンという組合せで音楽を楽しんでいる知人がある。この人はクラシックを聴かない。歌謡曲とポップスが大半を占める。
はじめのころ、クラシックをかけてみるとこの装置はとてもひどいバランスで鳴った。むろんポップスでもかなりくせの強い音がした。しかし彼はここ二年あまりのあいだ、あの重いパラゴンを数ミリ刻みで前後に動かし、仰角を調整し、トゥイーターのレベルコントロールをまるでこわれものを扱うようなデリケートさで調整し、スピーカーコードを変え、アンプやプレーヤーをこまかく調整しこみ……ともかくありとあらゆる最新のコントロールを加えて、いまや、最新のDGG(ドイツ・グラモフォン)のクラシックさえも、絶妙の響きで鳴らしてわたくしを驚かせた。この調整のあいだじゅう、彼の使ったテストレコードは、ポップスと歌謡曲だけだ。小椋佳が、グラシェラ・スサーナが、山口百恵が松尾和子が、越路吹雪が、いかに情感をこめて唱うか、バックの伴奏との音の溶け合いや遠近差や立体感が、いかに自然に響くかを、あきれるほどの根気で聴き分け、調整し、それらのレコードから人の心を打つような音楽を抽き出すと共に、その状態のままで突然クラシックのレコードをかけても少しもおかしくないどころか、思わず聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴るのだ。
     *
14歳の私は、単純にも「グラシェラ・スサーナ」の名前が出てきたこと、
そして「いかに情感をこめて唱うか」、これだけでいつかはパラゴンで……と思いはじめていた。
そのことをずっといままで思いつづけてきたわけではない。
忘れていたころもあった。ときどき思い出すこともあった。
その間に、パラゴンというスピーカーシステムに関心を失ってしまったこともある。
揺れ動きながら、いまはここに書いてきたことを思っている、ということだ。

揺れは、いまもある。揺れのない感性というものはあるのだろうか。
そう思うし、そういう揺れのある感性の充足も、オーディオのひとつの目的だと思う。

自分の求めてる音、表現したい音は、こうだ、とひとつに決めつけることは、正直どうかな、と思う。
揺れながら、いつかはそれを収束させていけばいいことであり、
こうやってあれこれ組合せを思い描いていくのも、
私にとっては揺れを楽しみながら収束させていく過程なのかしもしれない。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その41)

だから、LNP2の出力にいれるトランスをどういう基準で選ぶかというと、
グラシェラ・スサーナの歌を鳴らしたときに、
どちらがより夜の匂いを感じさせてくれるかということも重要になってくる。

これでアンプも決った。残るはCDプレーヤーだが、ここも同じように夜の匂いを感じさせてくれるモノを、
重視しての選択になるかといえば違う。
ここは純粋にディスクに収められているものを細大漏らさず引き出してくれるものが欲しい。
それにSACDができれば再生できるモノがいい。
となると数は絞られてきて、さらに使いたくないモノがあるから、ますます候補は少なくなる。

それでもひとつだけ、ぜひ聴いてみたいと思っている本命が、
CHプレシジョンのSACDプレーヤー、D1である。
360万円と高価なプレーヤーであるし、見た目もすこし言いたくなるところは感じているけれど、
信頼できる耳の持主ふたりが(ひとりは、すでに購入ずみ)、このD1の音を絶賛していた。
その話しぶりからして、そうとうに凄い実力を持つモノだということは確信している。
聴いてもいないモノについて、こんなことは言うのもおかしいことだが、
いま最もいい音を出してくれるプレーヤーの、数少ないモノのひとつと呼べるだろう。

これで組合せがひとつできた。
CHプレシジョンのD1、マークレビンソンのLNP2、オラクルのSi3000、JBLのD44000 Paragonは、
音の入口からみると、新・旧・新・旧というふうに並んでしまった。

この組合せからどんな音がしてくるのかは実際に鳴らしてみないことにははっきりしたことはいえないにしても、
もしこの組合せを手に入れることができれば、真剣に向き合い調整していけば、
求める音が得られるという手ごたえに近い予感はある。

ひとりきりの夜、時間をもてあましたときにグラシェラ・スサーナの歌を聴けば、
きっと……、と思わせてくれるものがあると信じられれば、それでいいじゃないか、とも思う。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: 4343, JBL, 瀬川冬樹

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その13)

瀬川先生が4ウェイ・スピーカーシステムについて語られるのを、
単に周波数特性(振幅特性)の見地からでしか捉えてしまっている人がいる。
そうなってしまうと、瀬川先生がなぜ4ウェイのスピーカーにたどり着かれたのかを見落してしまうことになる。

「瀬川冬樹に興味がないから、別にそんなことを見落してもどうでもいいこと」──、
そんなふうなことが向うから返ってきそうだが、スピーカーシステムに関心があり、
ステレオ再生における音像の成り立ちに肝心がある人ならば、瀬川先生の4ウェイ構想から読み取れるものはある、
読み取れるはずである。

スピーカーの理想像は人によって一致しているところとそうでないところがある。
だから瀬川先生の4ウェイ構想に全面的に同意できない人がいて当然である。
完全なスピーカー構想というものは、まだまだ存在していないのだから。

それでも、あの時点で、なぜこういう4ウェイ構想を考えだされたのかについて考えてゆくことは、
スピーカーの理想について考えていく上でも意味のあることだと思っている。

それに瀬川先生の4ウェイ構想は、
瀬川先生がどういう音(広い意味での「音」)を求められていたのか知る重要な手がかりでもある。

瀬川先生の鳴らされていた音のバランスは、瀬川先生にしか出せないものだった、ときいている。
ただ、このことを鵜呑みにしてしまうと、
いつまでもたっても瀬川先生の音がどういうふうに鳴り響いていたのかはつかめない。

瀬川先生は4343、4345についている3つのレベルコントロールはほとんどいじっていなかった、と発言されている。
つまり周波数スペクトラム的な音のバランスに注意して聴いていても、
そしてそれによる瀬川先生の音を表現した言葉を聞いていても、すこしもそこに近づいたことにはならない。

このブログを書くためにも、瀬川先生の「本」をつくるためにも、
瀬川先生の書かれたもの、語られたものに集中的にふれてきて、
そして10代のころからずっと思い考えてきたことから、実感をもって言えるのは、
瀬川先生の音のバランスの特長は、周波数スペクトラム的なこととは違うところにある、ということだ。

だから、あの時点での4ウェイ構想だ、と理解できる。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター, イコライザー

BBCモニター考(余談・グラフィックイコライザーのこと)

グラフィックイコライザーは進歩してきている。
まず素子数が増えてきて、S/N比も向上してきて、最近では低価格化の方向へも向っている製品もある。
そしてアナログからデジタルへと処理そのものが変化している。

道具としてグラフィックイコライザーが変化・進歩してきているわけだから、
グラフィックイコライザーに対する見方も、変化していって当然だと思う。

昔のグラフィックイコライザーのイメージを引っ張ったまま、
現在の良質なグラフィックイコライザーを判断することはできない。
グラフィックイコライザーに対する捉え方・考え方は、柔軟でありたい。
必要と感じたら使ってみる、試してみたいと思ったら臆せず使ってみる、というふうに、である。

ただひとつ気をつけたいのは聴取位置からすぐに手の届くところにグラフィックイコライザーを、
使いはじめたころは、どうしても置きたくなる。
早く使いこなせるようになるためにも、すぐにツマミをいじれるように、と近くに置いてしまう。
このやり方は、ある期限を決めておいたほうがいい。
そうしないと、いつまでたっても椅子から立たずにいじれることに、面白さとともに楽さをおぼえてしまうからだ。

それまでだったら、どこか気になる音が出ていたら、こういう音を出したいと思ったら、
椅子から立ち上がりスピーカーのところに行ったり、アンプやプレーヤーのところへ向った。
それがグラフィックイコライザーが聴取位置のすぐ近くにあれば、
つい楽な方を選んでしまうことに、本人が気がつかぬうちに陥っている。
そうなってくると、グラフィックイコライザーに頼り過ぎることへ向う危険性が生れてくる。

グラフィックイコライザーは、アナログだろうがデジタルだろうが電気的に信号処理することに変りはない。
この電気的だけの信号処理に頼り過ぎてしまうと、つまり電気的だけで合せてしまうと、
ある録音(レコード)ではうまくいくけれども、もっといえば、あるレコードのある一部分(パッセージ)だけは、
とてもうまくなっても、そこからはずれてしまうと精彩を欠いた音になったり、
そのまま違う録音を鳴らしたら、ひどい場合には音楽を変質させてしまうこともないわけではない。

そうなると、今度は、いまどきのグラフィックイコライザーの中にはメモリー機能を搭載しているものもあるから、
音楽のジャンルや録音、レーベルの違いなどによって、イコライザーカーヴをいくつも設定して、
それらを再生するたびに違うカーヴを呼び出すことになる。

それでも音楽は時間とともに変化していくものである。ひとつの曲の中でも音楽は変化している。
グラフィックイコライザーに頼り過ぎた使い方から生じたカーヴは、いわゆるスタティックなバランスであって、
ごく狭い範囲ではそれが活きることはあっても、動的な音楽の変化には対応し切れず、
中には曲の途中でカーヴをいじるということになる。

こうなってしまったら、グラフィックイコライザーに頼り過ぎである。

椅子から立ち上ること、離れることを忘れてしまっては、うまくいかない。
それに似た陥し穴が、いまPCオーディオ、コンピューターオーディオと呼ばれているものにもある。

Date: 7月 22nd, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・モアレ音響について)

音のモアレ効果について調べていくと、作曲家の住谷智氏が、
1960年代に、音にもモアレ効果があることを発見され、
音響の多層化(モアレ・サウンド)と名づけられ発表されている、ということがわかった。
論文も発表されている、とのこと。
住谷氏の「降り注ぐ流星群」という作品は、モアレ音響を使ったものらしい。

住谷氏がモアレ・サウンドと呼ばれている効果と、
私がジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットの音を聴いて感じ思ったモアレ的な効果とが、
まったく同じものなのか、ある程度同じものなのか、それともまるっきり違うものなのかは、
住谷氏の論文を読んでいないので、何もはっきりしないが、
真のステレオ再生にとって、精確でどこにも乱れのない波紋が、
左右ふたつのスピーカーから放射されることが、通常思われている以上に重要なことは共通している気がする。

Date: 7月 22nd, 2011
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その12)

オーディオの解説書やカタログなどで、スピーカーからの音が放射される様を弧を描いて表している図がある。
スピーカーから出た音が、きれいな等高線のように描かれ、ステレオだから、とうぜんスピーカーは2本あり、
この等高線のようなきれいな弧は中央で重なり合う。
そこには交点が生れ、等高線は編目のようになっていく。

実際のスピーカーからの音は、これほどきれいな弧を描いているわけではない。
それでも、こういった図を見ていると、モアレについて考えてしまう。

ステレオ再生で、ふたつのスピーカーのあいだに、なぜ音像が浮び上るのか。
このこととモアレが結びつく。
オーディオでは、ふたつのスピーカーからまったく同じ音が放射されることは、まずない。
そのために左右のスピーカーの交わるところでは、ずれ(のような)ものがある。
そのずれ(のような)ものが、視覚的なモアレ同様、音像を立体的に錯覚させているような気がする。

もしそうだとしたら、モアレをより効果的にするためには、それぞれのスピーカーから放射される音が、
微細なところまで、しかも広範囲にわたって乱れのない、
それこそ絵に描いたような等高線を思わせるような波形・放射パターンでなければならないはず。
周波数によって弧が歪んでいたり、スピーカーの正面では比較的きれいな弧でも周辺にいくほど乱れていては、
モアレは最大限の効果を生まないどころか、音像そのものを歪めてしまうことになりはすまいか。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットによる優れた音を聴いていると、
そういうことをつい思ってしまう。
DDD型ユニットからは美しい波紋が、左右からまわりに広がっていく。
スピーカーの中央で、直接音(波紋)が重なり、壁に反射した音(波紋)もまた重なり合う。
それらがうまく作用したときに、輪郭線を感じさせない、まさに立体的な音像が目の前に再現される。

このモアレに似た作用を実現するためにも、指向特性は非常に重要な項目となってくる。

Date: 7月 19th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続×十七 K+Hのこと)

平行面が存在していたら、定在波が発生する。
物理現象である定在波は、律義なことに、どんなに狭い面積であっても平行面があれば、そこに発生する。
このくらいのごく小さな平行面ぐらい見逃してよ、といったことは通用しない。

この定在波が、スピーカーからの音に悪影響を与える。
無響室でどれだけフラットな周波数特性を誇っていたスピーカーシステムでも、
定在波がひどく発生している部屋にもちこみ、聴取位置で周波数特性を測れば低域にピーク・ディップを生じる。
このピーク・ディップを、電気的に、つまりグラフィックイコライザーによる補整で抑え込むというのは、
ひとつの手法ではあるけれども、音響的なピーク・ディップを電気的に完全に補整することはまず無理だと思う。
とくに音響的なディップは、電気的に補整することはまず無理だと思っていい。
グラフィックイコライザーの使いこなしをきちんと身につけて、じっくりと取り組むことで、
定在波による音の癖をある程度抑え込む、というよりも、うまくごまかすことはできても、解消できるとはいえない。

グラフィックイコライザーにできること、と、できないことがある、ということ。
使いこなせれば万能というわけではない、ということ。
でも、そのことを踏まえて使いこなせれば、グラフィックイコライザーは有効な手段でもある。
グラフィックイコライザーの有効性を唱える人の中には、
グラフィックイコライザーに頼り過ぎではないか、と思われる人もいる。

グラフィックイコライザーに頼り過ぎる前に、いろいろやることはある。
そうやっていくうちに気がつくのは、ひどく癖のある部屋なのに、
スピーカーシステムによって癖の感じ方に差がある、ということだ。

部屋の癖の影響をもろに受けてしまって精彩を欠く鳴り方しかできないスピーカーシステムがある一方で、
不思議なことに、それほど癖の影響を受けていないかのように鳴ってくれるスピーカーシステムがある。

これを部屋とスピーカーシステムの相性という一言で片づけてしまっていいのだろうか。
以前は指向特性の狭いスピーカーシステムのほうが部屋の影響を受けにくい、などといわれていた。
だけど、私の経験では指向特性と部屋の影響、特に定在波の悪影響を受けやすい、受けにくいは関係ない、といえる。

関係してくるのは、スピーカーシステムの累積スペクトラムとインパルス応答だと思う。

Date: 7月 17th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その40)

グラシェラ・スサーナの歌は、よく聴く。
タンゴ、フォルクローレもいいけれど、グラシェラ・スサーナによる日本語の歌に惹かれるものが、
はじめてグラシェラ・スサーナの歌を聴いた、中学2年のときから、ある。

グラシェラ・スサーナの歌には、夜の匂いがある。
グラシェラ・スサーナによって歌われるのは、夜の物語が多い。
彼女の声質も関係してのこともあって、夜の質感を描き出している。
「別れの朝」も、歌われているのは朝の情景だが、夜のとばりがまだそこにある「夜の歌」だ。
グラシェラ・スサーナのしめりけをおびた声で表現されるとき、そのことを意識せざるをえない。

グラシェラ・スサーナの歌を収めたLPなりCDに、夜の匂いが刻まれているわけではないのに、
最初にグラシェラ・スサーナの歌を聴いた時にも、いま聴いても、
夜の匂い、としか表現しようのないものを嗅ぎとってしまう。

この夜の匂いをまったく感じさせないもの、かろうじてそれらしきものを感じさせるもの、
色濃く感じさせるものが、大まかにいってスピーカーシステムにある。
少数なのは、まったく感じさせないものと、色濃く感じさせるものである。

夜の匂いなんてものは、実のところ、どこにも存在していないのかもしれない。
グラシェラ・スサーナの声が十全に再現されたからといって、夜の匂いがそこにあるとは限らない。
それでも、はじめてグラシェラ・スサーナの歌を貧弱な装置で聴いた時も、
そしていまも感じられるときがあるということは、
やはりどこかに存在しているということになるのだろうか。
オーディオの再生系のどこかで生み出されたもの、とはどうしても思えない。

スピーカーシステムの中には、とにかくごく少数ながら、
グラシェラ・スサーナの歌に夜の匂いを喚起させる何かをもつモノがあって、
それらを私は、インプレッショニズムの性格をもつスピーカーと受けとめている。

Date: 7月 16th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その39)

プリメインアンプのオラクルSi3000にコントロールアンプを組み合わせようとして、
さらにその間にトランスを挿入しよう、とまで考えている。
わざわざこんなことをしなくて、素直にSi3000をパワーアンプとしてではなく、
本来のプリメインアンプとして使えばこんなことをする必要はまったくなくなるわけだ。

それでも、ここで鳴らしたいスピーカーシステムがパラゴンだから、
こんな、どこかアマノジャク的な組合せ・使い方をしようとしている。
すべてのスピーカーシステムに対して、こういう組合せ・使い方を試みようとは思わない。
それは、やはりパラゴンが相手だから、であって、
それは私がパラゴンをインプレッショニズムのスピーカーシステムとして捉えているからであり、
ここでは目的のための手法として、積み重ねていくことを貫きたい気持がある。

具体的に使用するトランスの候補は、
ジェンセン(アメリカ)、ルンダール(スウェーデン)、マリンエア(イギリス)あたりだが、
マリンエアは会社がなくなってしまい入手はかなり困難である。

ジェンセンがうまくあうのか、それともルンダールのほうがひったりいくのか、
このへんは実際に確かめてみるしかないし、トランスは、伊藤先生の言葉を借りれば「生き物」だから、
使い方・取りつけ方法によって、音の変化は想像以上に大きい。
トランスの扱い方に関しては、私なりにノウハウがあるから、
しっかりしたトランスであれば、期待外れという結果に陥るようなことにはならない自信はある。

トランスにはトランス固有の音があるの事実で、安易な扱い方をしてしまうと、
そのトランス固有の音が、ネガティヴな方向に強く出てしまうことが多い。
電源も必要としない、結線すれば動作するトランスだけに、どこまでも気を使って取り扱ってほしい。

Date: 7月 14th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その38)

コントロールアンプにLNP2を持ってくるのであれば、いっそのことパワーアンプもML2にするとか、
LNP2と同時代のパワーアンプの中から選ぶ、ということも考えられるが、
私の考え方として、パワーアンプは近年の優秀なモノは、あきらかにスピーカーをドライヴする能力は向上している。
JBLのパラゴンという、すんなり鳴ってくれるわけではないスピーカーシステムに対しては、
とにかく優秀なパワーアンプを組み合わせたい。
それだけで、パラゴンを鳴らすスタート地点が変ってくるし、しなくてすむ苦労が省ける。

もちろん近年のパワーアンプのすべてが、LNP2と同時代のパワーアンプよりも優れているわけではない。
私がパラゴンを鳴らしてみたいとつねづね思い描いているオラクルのSi3000は、優れた能力をもっている。
それにSi3000の、うまい表現がなかなか思いつかないが、濃密な表情をもつ、このアンプの音は、
音色的にもパラゴンに合う印象があるし、パラゴンをどこまでも鳴らしあげるパワー(力)もある。

パラゴンとSi3000の相性は、いいと想像できる。
LNP2とSi3000の相性となると、どうだろう。
うまくいきそうな気もするし、まったく、お互いに相容れない結果になるかもしれない。
どっちにころぶかは、正直予測できない。
こんな組合せをやっている人もいそうにないし、確かめることもできない。

なので、もしかして、という場合のために、ひとつ考えていることがある。
LNP2の出力の直後にライントランスをあえて挿入してみよう、と思っている。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その26)

低域はヴァイタヴォックスで、中高域はJBL、
つまり低域はイギリスで中高域はアメリカ、ということでもある。
いくらなんでも、そういう組合せでうまくいくわけがないだろう、と思われても仕方ない面がある。

でもヴァイタヴォックスは、ロンドン・ウェストレックスのスピーカーユニットの製造を請け負っていた会社だ。
そういうこともあり、イギリスのアルテック的な捉え方もされている。
となると、ヴァイタヴォックスも、JBLもアルテックも元をたどれば同じところに行きつく。
まったく異質なモノを組み合わせようとしているわけではない、というすこし強引な言い訳はできる。

BBCモニターは、LS5/1のときからウーファーとトゥイーターの製造メーカーは違っていた。
LS5/1ではウーファーはグッドマン製、トゥイーターはセレッション製だった。
LS3/5Aはウーファー、トゥイーターともKEF製だったが、むしろメーカーが揃っていることが珍しい。

BBCの流れを汲むスペンドール、ハーベスなどもウーファーは自社製でも、トゥイーターは他社製だ。
LS5/8ではトゥイーターはフランスのオーダックス製と、国とメーカーも異る仕様になっている。

そんなことも併せて考えると、ウーファーがヴァイタヴォックス製で、トゥイーターがJBLというのは、
なにかうまくいきそうな感じがしないが、
音楽のメロディ帯域の受持つウーファーがヴァイタヴォックス(イギリス製)であれば、
多少苦労してでも、うまく音をまとめあげれば、決して異端のスピーカーシステムというよりも、
わりと真当なスピーカーシステムと仕上がるはずだ。

そんな確信に近いものをもてるのは、
LE175DLHは、瀬川先生が惚れ込まれたユニットのひとつだから、である。

Date: 7月 12th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その37)

音のいいコントロールアンプ、優秀なコントロールアンプよりも、
ここでの組合せには、インプレッショニズムのスピーカーシステムとしてパラゴンをとらえたときに、
その魅力を損なうモノは論外で、倍加(というよりも倍化)してくれるコントロールアンプであってほしい。

そうなると、どうしてもマークレビンソンのLNP2が真っ先に浮んできてしかも消えてくれない。
かわりに、あのアンプは、このアンプは、と無理矢理あれこれ思い浮べようとしても、
自分の中に、その選択に対する不自然さを感じてしまい、
結局LNP2になってしまうのか、と自分でもあきれてしまう。

20代のころ、中古ではあったがJC2を購入した。
このときはLNP2よりも、音の良さとして、JC2の方に魅力をより強い感じていた。
それから20年が経ったいま、どちらを選ぶかというと、ためらうことなくLNP2にする。

確かに、このころのマークレビンソンのアンプに、
徹底した音の透明なよさ、どこまでも切れ込んでいく解像力のよさ、
そういった音の良さを求めるのであれば、JC2のほうが上だと思う。
でも、曖昧な表現になってしまうが、音楽を聴いたときの深さのある質感では、LNP2である。
そういう深さが、JC2は稀薄に感じられた。

このことはマーク・レヴィンソン自身も、
LNP2にはJC2にはない音のとディープネスがある、と語っていたときいている。
結局、この深さ(ディープネス)をより深くするために、
瀬川先生はLNP2にあえてバッファーアンプを追加されたのだろう。
バッファーアンプを追加することは、アンプモジュールのLD2をひとつ余計に信号が通ることになる。
そのことによる音の鮮度の低下を問題にする人、
LNP2を使いながらも、トーンコントロールをパスしてRECORD OUTから出力を取り出している人、
もしくはライン入力をTAPE端子に接続している人(これらのことでLD2をひとつパスできる)、
そういう人はLNP2よりもJC2(もしくはML1)を使った方がいい、と思う。