Archive for category オーディオマニア

Date: 6月 24th, 2022
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その12)

「宿題としての一枚」を一枚も持たない者は、
圧倒的になれないのではないだろうか。

「宿題の一枚」については、別項で書いている。

Date: 6月 24th, 2022
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その11)

《オーディオでしか伝えられない》ことをしっかりと持っていてこその、
圧倒的であれ、のはずだ。

Date: 4月 3rd, 2022
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その44)

つきあいの長い音──、私にとってはボンジョルノのアンプの音となるのか。

Date: 1月 10th, 2022
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その43)

つきあいの長い音──、心に近い音であること。ただそれだけである。

Date: 12月 28th, 2021
Cate: オーディオマニア

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その4)

選択と拒否は不可分である、とまでは思っていない。
それでも、選ばなかった途(選べなかった途)についておもうとき、
拒否した途があったのだろうか……。

拒否もいくつかあろう。
やりたくないからくる拒否、認めたくないからくる拒否、
許せないからくる拒否──、などがあろう。

なにを拒否してきたのだろうか。

Date: 11月 19th, 2021
Cate: オーディオマニア

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その3)

選ばなかった途ではなく、結局は選べなかった途がある。
その選べなかった途をもし歩んでいたら──、
どんな生活を、いま送っていただろうか、とは考えていない。

それはきっとオーディオと無縁の途だったはずだからだ。

Date: 8月 7th, 2021
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その42)

つきあいの長い音──、私にとってMQAが、すでにそうであると感じさせる。

Date: 7月 31st, 2021
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その41)

つきあいの長い音は、くされ縁の音ではない。

Date: 7月 25th, 2021
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その10)

オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ──、
というのは、私の本音だけれど、
人によっては、「圧倒的であれ」を変な方向へ誤解する人がいるようにも感じている。

オーディオマニアのなかには、自分を特別扱いしろ、といわんばかりの人がいる。
友人と電話で話していて、共通の知人のことが話題にのぼった。

共通の知人といっても、私は三十年ほど会っていないし、
連絡もとることはない。
特に親しかったわけでもないが、一度、その人の音は聴いている。
その程度の知り合いでしかない。

それでも、この人はほぼ無意識に自分を特別扱いしてほしがっている──、
そんなふうに感じることが何度かあった。

三十年以上前のことだから、若気の至りだったのかもしれない。
けれど、いまもそのようである。
友人の話をきいていると、なんにも変っていないんだなぁ、と思っていた。

特別扱いしてほしいんですか、と訊けば、そんなことはない、というはずだ。
本人は、まったく意識していないのかもしれない。

なのに、その人の言動は、特別扱いを暗に要求している。

圧倒的であれ、とは、そんなことではない。

Date: 5月 17th, 2021
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その9)

オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ──、
というのは、私の本音だ。

その8)で、そう書いた。
圧倒的であれ、は、圧倒的に楽しむ者であれ、でもある。

圧倒的に楽しめる者こそが、周りのオーディオマニアを挑発できる。
圧倒的であれ──、は威圧することではない。

Date: 3月 26th, 2021
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その8)

オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ──、
というのは、私の本音だ。

周りのオーディオマニアを挑発するほどに圧倒的であり、
周りのオーディオマニアのレベルを上げていくほどに圧倒的ということだ。

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その3)

音楽がほんとうに好きな人のために、
自分のオーディオの才能を使うということは、
つまるところ、自分のためなんだ、という考えもできる。

オーディオマニアよりも、
オーディオにまったく詳しくない人で、音楽がほんとうに好きな人ほど、
だましたりごまかすことはできないものだ。

その人が使っているスピーカー、そのスピーカーを鳴らしている部屋、
アンプやCDプレーヤーなど、
自分の環境とはすべてが違う。

聴いている音楽も大きく違うこともある。
つまり何もかも違うところで、
ほんとうの音楽好きの人を満足させる音にする、ということは、
自分のオーディオの才能に磨きをかけることでもある。

自分のシステム、自分の部屋、好んで聴く音楽の範囲で、
真剣にやっていても磨きがかけられない才能の領域がある。

だからこそ、自分のためなのだ。

Date: 2月 20th, 2021
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その2)

「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

二十数年前の私は、知人にこんなことをいっていた。
以前書いたことのくり返しなのだが、
オーディオ好きの知人は、私のオーディオの才能を認めてくれていて、
それだからこそ、何回も、私に、
「せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか」
「何か書いたらどうですか」
そういってくれていた。

ありがたいことなのに、当時の私は、
本気で、自分のオーディオの才能は自分のためだけに使うことこそ、
いちばんの贅沢だ、と思っていた──、
というか、そう思い込もうとしていたのかもしれない。

そんな私がいまは、誰かの家に行って、
オーディオのセッティング・チューニングをしている。

仕事としてやっているのではない。
親しい人、音楽好きの人の音をきちんとしていく。

高価なケーブルやアクセサリー類を持っていくわけではない。
やってくることといえば、なんだー、そんなことか、と思われることだろう。

たいしたことやっていないな、といわれるぐらいのことだ。
そんなことであっても、意外ときちんとなされていないことが多い。

昨晩もやっていた。
どんなことをやったのか、どんなふうに音が変化したのかは、
ここで書くようなことではない。

とても喜んでくれていたから、それでいい。
音楽がほんとうに好きな人のために、才能を使うということは、そうとうに楽しい。

そういうことをやって、私は、誰かに何かを伝えられているのだろうか。
その1)で、《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているからオーディオマニアのはずだ、
と書いている。

《オーディオでしか伝えられない》までには到っていないかもしれないが、
《オーディオで伝える》ことはできるようになったかもしれない。

Date: 1月 14th, 2021
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その16)

なにかが欠けていたり、足りなかったりするからこそ、
モノは、そして音は完結するのかもしれない。

完成を目指し、足りない、欠けていたりするのを足していく。
いつまで経っても完結しない。

それを理想を目指して、ということはできるし、
それも男の趣味だと思う。

それでもどこまでいっても、なにかが欠けていたり、足りなかったりするものだ。
オーディオは男の趣味だからこそ、そこで潔さが求められる。

Date: 12月 6th, 2020
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その7)

オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう──、
と(その1)で書いた。
五年前に書いている。

圧倒的であれ、とおもう、その理由は、
子供のころから、ブラッグ・ジャックに憧れてきたからなのだろう。