Archive for category オーディオマニア

Date: 10月 5th, 2015
Cate: オーディオマニア

ドン・ジョヴァンニとマントヴァ侯爵(その1)

ドン・ジョヴァンニとマントヴァ侯爵。

ドン・ジョヴァンニはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」に、
マントヴァ侯爵はヴェルディのオペラ「リゴレット」の登場人物である。

ふたりは似ているようでいて、決定的にちがう。

このふたりについて黒田先生が書かれていた。
ステレオサウンド 47号掲載の「さらに聴きとるものとの対話を」で、
「腹ぺこ」のタイトルを文章で、ドン・ジョヴァンニについて書かれていた。
マントヴァ侯爵については、最後のほうで、ドン・ジョヴァンニとの比較対象として触れられている。
     *
 ドン・ジョヴァンニに似たタイプの、しかしドン・ジョヴァンニとは決定的にちがうマントヴァ侯爵という男がいる。ヴェルディのオペラ「リゴレット」の登場人物だ。彼は、夜会に出席している美女達たちをながめながら、「あれかこれか」と、いともくったくなくうたう。しかし、彼は、ただの好色漢でしかない。「あれかこれか」という、すくなくとも選択の意識が、マントヴァ侯爵にはあるが、ドン・ジョヴァンニにはそれがない。だから、ドン・ジョヴァンニは地獄におちるが、マントヴァ侯爵は、すくなくともオペラが終るまでは、生きのびていて、ベッドにひっくりかえって、鼻歌などうたっている。
 しかし、マントヴァ侯爵の姿は、妙にうすぎたない。ドン・ジョヴァンニの輝きは、マントヴァ侯爵に感じられない。マントヴァ侯爵は、女性に対して、ドン・ジョヴァンニのようにはハングリーではない。一種の退屈しのぎというか、ひまつぶしに女性を誘惑しているだけだ。
     *
黒田先生は、音楽についてのドン・ジョヴァンニは、ありえないか──、をテーマにされている。
そして《みんながハングリーでなくなったということが、ここでもいえるように思う》と書かれている。

みんながハングリーでなくなったのは、音楽だけではなく、オーディオに関してもいえるのではないか。

ドン・ジョヴァンニは、
イタリアで640人、ドイツで231人、フランスで100人、トルコで91人、スペインで1003人、
合計2065人の女性と交渉をもっている。
それでもドン・ジョヴァンニは女性を求め続け、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」では地獄に堕ちる。

Date: 10月 4th, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(語りたいモノがある)

ヤマハの新しいスピーカーシステムNS5000を書いている。
ジェームズ・ボンジョルノのアンプのことも書いている。
──こんなふうに語りたくなるオーディオ機器が、これだけではなく他にもいくつもある。

優秀なオーディオ機器だから、ではない。
語りたいと思うオーディオ機器は、必ずしも世評の高いモノではない。

そこに、何か共通した理由を私自身が見いだすのはできないことかもしれない。
とにかく語りたいオーディオ機器がある、ということだ。

この語りたいオーディオ機器を心の裡に持つ者がオーディオマニアである。
語りたいオーディオ機器を持たぬ者は、どれだけオーディオにお金を投じていようとオーディオマニアとは呼べない。

Date: 9月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その16)

つきあいの長い音を持つことは、絶対不可避な機器の劣化を補っていくことかもしれない。

Date: 9月 4th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その15)

つきあいの長い音こそが、ハーモニーの陰翳を聴きとる耳をもたらすのかもしれない。

Date: 9月 4th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その14)

つきあいの長い音は、ハーモニーの陰翳とでも言うほかない音のニュアンスを聴かせてくれようになる。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その13)

つきあいの長い音──、私にとってのそれはデッサンの確かな音。

Date: 7月 6th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その12)

つきあいの長い音が、オーディオマニアとしての「純度」を高めていくのかもしれない。

Date: 7月 6th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その11)

つきあいの長い音は、そうやって聴き手を育てていく。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その10)

つきあいの長い音は、同時に聴き手の感覚を調整していく音でもある。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その9)

つきあいの長い音には、聴き手の感覚に合せることのできる柔軟性がある。

Date: 6月 15th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その8)

つきあいの長い音の「ふるさ」とは、古さ、旧さではなく、故さであろう。

Date: 6月 15th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その7)

つきあいの長い音は、ふるいつきあいの音でもある。

Date: 6月 10th, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(ブラック・ジャックを読んでいて……)

手塚治虫のブラック・ジャックに、こんなセリフがある。

《手術もせずにほうってある きず口を見るのは がまんできないんだよ》
「のろわれた手術(オペ)」より

ブラッグ・ジャックは少年チャンピオンに連載されているのを読んでいた。
だから、このセリフも連載時に読んでいる。
そのころは、まだオーディオマニアではなかった。

いまオーディオマニアとして、このブラック・ジャックをセリフに出あって、
はっとした。気づかされたことがあった。

オーディオマニアは、自分のシステムから出る音を良くしようとする。
それは好きな音楽を少しでもいい音で聴きたいがためである。

でも、それだけではないことに、ブラック・ジャックのセリフを読んで気づかされた。
《手術もせずにほうってある きず口を見るのは がまんできないんだよ》という、
ブラック・ジャックと同じ気持があることに。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その呼称・その3)

いまオーディオ評論家と名乗っている人・そう呼ばれている人もまた、
オーディオ評論家とHi−Fi評論家がいる、と私は思っている。

ここでのHi−Fiの定義は、高城重躬氏をHi−Fiマニアと呼ぶのとは違ってくるけれども。

Date: 6月 1st, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その呼称・その2)

あくまでも私のなかでの、ということわりをつけてではあるが、
五味先生はオーディオマニア、
高城重躬氏はHi−Fiマニア、
となる。