Archive for category 会うこと・話すこと

Date: 9月 6th, 2013
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その3)

四谷三丁目の路地裏にひっそりとあるジャズ喫茶、喫茶茶会記。
店の奥に、大小ふたつのスペースがあり、おもに小さなスペースの方で毎月第一水曜日に、
audio sharingの例会をやっている。

つまり私にとって、最低でも月一回は人と会ってオーディオ、音楽のことを話すことになる。
話していると気づくことがある。

今回もいくつかあって、その中のひとつは驚き、とまではいかないものの、
こんなにも捉え方が違ってくるのか、というおもいがした。

ある人のブログに、アナログプレーヤーの調整を六時間かけておこなった、という記述があったそうだ。
私はその人のブログを知らないから読んではいない。

そのことを話してくれた人は、アナログプレーヤーの調整に六時間かけた、
ということに、ブログを書いている人のことを、プロだなぁ、と思った、ということだった。

前後の文章を私は読んでいない。
アナログプレーヤーの調整に六時間かけた、ということだけから、そんな私が思うことは、
この話をしてくれた人とは反対のことで、熱心なアマチュアの方だなぁ、だった。

アナログプレーヤー調整に六時間かける──、
このことをひとりはプロのやることだ、と受けとめ、ひとり(私)はアマチュア的だ、と受けとめる。
正反対の感じ方をしている。

ブログを書かれている人が、どう思って書かれたのかはわからない。
でも、確実にいえるのは、読み手によって受けとめ方がまるで違うことがある、ということだ。

Date: 6月 18th, 2009
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その2)

以前書いたように、早瀬さんとだけでなく、傅さんとも、今年はよく電話で話している。
なのに直接会って話す。かならずしも、そこで出てくる話は新しいことばかりではない。
電話で話したことをくり返す。何度かくり返し話すことがある。

時間の無駄と思う人もいてもいいが、私は、くり返し口から自然と出てくる言葉は、
なにかわけがあって、くり返すことですこしずつはっきりとくっきりと、
輪郭が描かれていくようにも感じている。

くり返しといえば、昨夜の話の中でも「ルーティンワーク」という言葉が出た。
いい意味で使われたわけではない。
けれど、ルーティンワークがそういうふうに受けとられがちなのは、
日常生活の中でくり返すことで、安易に馴れてしまい、悪い意味で要領よくなってしまい、
いつのまにか楽をしたいがために手抜きができるところは、いつのまにか、
ときには無意識のうちにそうしてしまうおそれがある。

「細部に神は宿る」と、よく言われるように、ルーティンワークにおいて決して手を抜くことなく、
細部に、隅々にまで神経を行きとどくようにしていれば、ルーティンワークは必ず何かを生み出していくはずだ。

Date: 6月 18th, 2009
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その1)

17日は、傅さん、早瀬さん、友人のAさんとKさんの五人で集まって、食事をしながら、あれこれ話していた。
終電ぎりぎりまでそんなことをやっていたので、帰宅したのは、もう18日に、とっくになっていた。
だから、ひとつ前のブログは、日付こそ、17日になっているけど、
実は、これを書く、ほんのすこし前に書いたところ。

早瀬さんは、この集まりのためだけに、わざわざ京都から来られた。
早瀬さんとは、よく電話で話している。
16日も、かなりの時間話していたし、日曜日も長電話だった。
まぁ、とにかくよく話している。それでも、こうやって顔を合わせて、
しかも傅さん、Aさん、Kさんが加わると、よく話すことがあるなと思うくらい、なんだかんだと話していた。

電話は便利だし、メールはさらに気楽という面も加わり、ついつい使ってしまう。
人と会うためには、移動の時間も必要になる。これを億劫と思う人がいるのも理解できなくはない。

メールで済むのに、電話で済むのに、と思ってしまったら、
その人とのコミュニケーションは、わずかずつではあるが、確実に希薄になっていくだろう。

自分の時間を大切にするということは、心の贅沢なのかもしれない。
けれど言いたい、人のために時間を割くことこそ、心の贅沢だと。