2024年ショウ雑感(その6)
今年のインターナショナルオーディオショウは、
会場側の都合で7月開催なわけで、
暑い時期に……、と思ったりもするが、
学生はちょうど夏休みに入っている。
今年のインターナショナルオーディオショウは、
若い人たちの来場が増えるのだろうか。
増えてほしいし、
はっきりと誰の目にも明らかなほどに増えるのであれば、
これから先、夏休みの時期に開催もあるようになるのか。
今年のインターナショナルオーディオショウは、
会場側の都合で7月開催なわけで、
暑い時期に……、と思ったりもするが、
学生はちょうど夏休みに入っている。
今年のインターナショナルオーディオショウは、
若い人たちの来場が増えるのだろうか。
増えてほしいし、
はっきりと誰の目にも明らかなほどに増えるのであれば、
これから先、夏休みの時期に開催もあるようになるのか。
一年ほど前から狛江に行く機会が増えた。
毎月第一水曜日は、audio wednesdayで行くし、
それ以外でもたまに行くとこがある。
狛江には、これまで行くことはなかった。
狛江駅も一年ほど前が、初めての利用だった。
改札を出ると高架下に啓文堂という書店があった。
狛江駅付近で、ただ一軒の書店であったけれど、再開発とかで、
さほど経たずに閉店になっていた。
その啓文堂が、先月末に開店している。
場所は以前のところより、少し離れているが、
代わりに広くなっている。
それだけでなく、以前の店舗では、オーディオ雑誌は、なぜか鉄道コーナーにあった。
取り扱っている雑誌も、わずかだった。
それが新店舗では、鉄道コーナーではなく、音楽コーナーになっているし、
雑誌の数も増えている。
それだけのこと、といってしまえることだろうが、
それでもオーディオ雑誌の扱いが減ったりなくなったりしているのが、
当たり前のことになっているだけに、
今回の啓文堂の再オープンは、利用することはないけれど、
嬉しいことのひとつだ。
audio wednesday (next decade) – 第七夜は、8月7日である。
時間、場所はこれまでと同じ。
5月の第四夜と同じスピーカー、757Aのレプリカを鳴らしてみようと考えている。
タイプはまるで違うが、パワーアンプを二台用意できる。
アキュフェーズのA20VとマッキントッシュのMC275である。
それにアキュフェーズのデヴァイダー、DF35も持ち込み済み。
マルチアンプで757Aレプリカを鳴らせる。
DF35はデジタル信号処理で、ユニットの前後位置の補正が可能。
757AレプリカのホーンはJBLの2397で、ドライバーは2420なので、
スロートアダプターを、2328と2327を使うことになり、
ウーファーのボイスコイル位置とドライバーのボイスコイル位置は、
さらに広くことになる。
これをデジタル信号処理することで、どんなふうに音が変化するのか、
そのことによって音楽の表情がどう変っていくのか。
これまでとは趣向をかえてみようと考えている。
1月の序夜から始まったaudio wednesdayも半年(六回)が終った。
7月からの後半のスタートでは、もう一度、序夜で鳴らしたメリディアンのDSP3200を鳴らす。
序夜でのDSP3200の音を聴いていて、
そして聴き終ってからも、あることを考えていた。
DSP3200にエラックのスーパートゥイーター、
4PI PLUS.2を足したらどうなるのか。
その音を想像するだけで、ひとりワクワクしていた。
不安もないわけではない。
DSP3200はウーファーとトゥイーターの時間軸を揃えてある。
そこにスーパートゥイーター、
それも放射パターンが大きく違うモノを加えて、
果たしてうまくいくのか。
やってみないことと、わからない。
ワクワクがドキドキに変っていくのだろうか。
パワーアンプ内蔵のアクティヴ型だが、相棒といえるメリディアンの218との組合せでは、スーパートゥイーターを足すこともさほど難しいことではない。シンプルで完成されたシステムでありながらも、こういった拡張もまた可能である。
7月の音は、1月の序夜を聴いた人にぜひ聴いてもらいたい。
Speaker System: Meridian DSP3200
Super Tweeter: ELAC 4PI PLUS.2
Power Amplifier: Accuphase A20V
D/A Converter: Meridian 218
ソーシャルメディアを眺めていると、
時々、ファッションモデルと女優の比較写真が表示される。
ファッションモデルも女優も、同じドレスを着ているから、
その着こなしの違いが、はっきりと出ている。
こうも違うのか、
と一流のいわれるファッションモデルの着こなしは見事だ。
ドレスが主役なのか、着ている自分が主役なのか、
その意識の違いも関係してのことなのだろうが、
それにしても女優の着こなしは……、そんなふうに感じてしまうほどだ。
こんなことを書いているのは、オーディオ評論家は、
立場としてどちらなのか、だ。
スピーカーというドレスを、どう鳴らすのか。
再生音に存在しないものについて考えるということは、
再生音にだけ存在するものについて考えることでもあり、
こんなことを考えなくても、
スピーカーから鳴ってくる音を聴くことはできる。
むしろこんなこと考えずに聴いた方がいいに決まっている。
そんなことはわかっていても、
それでいいのかとも、また思ってしまう。
自己模倣という純化の沼にはまってしまったら、
心に近い音には近づかないだけでなく、
気づきもしないかもしれない。
しかも、自己模倣という罠は、
案外心地よいのかもしれないから、やっかいだと思う。
ステレオサウンド 127号のレコード演奏家訪問は、長島先生だった。
ここで、菅野先生と長島先生が語られていることは、
まだ読んでいないという人はぜひ読んでほしいし、
オーディオを介して音楽を聴くという行為で、
大事なことはなんなのかを感じとれるはずだ。
とはいえ、ここで書きたいのはそういうことではなく、
アナログプレーヤーに取り付けられているトーンアームのことだ。
以前別項で、SMEのSeries Vは、
長島先生のアイディアだろう、と書いた。
だからこそ長島先生は、すぐにSeries Vを導入された。
なのに127号の写真をみると、
トーンアームがSeries Vではなく、3012-Rだった。
なぜSeries Vではないのか、
なぜ3012-Rなのか。
いまとなっては、その答をきくことはできない。
それでも問い続けているからこそ、いまこれを書いている。
2月に届く予定だった「「“盤鬼”西条卓夫随想録」が、
ようやく届いた。
遅れた、といえばそうなのだが、
隔月刊となったラジオ技術が、
ほとんど不定期刊行になってしまっているのだから、
6月に届いたのだから、
予想よりも早かったぐらいに受け止めている。
「随想録」と「私の終着LP」は、
ラジオ技術掲載時に読んでいる。
それでも、こうやってまとめて、そしてあらためて読めるのは、
やはりありがたいことである。
昨年、休刊になったレコード芸術が、
今年、オンラインで復活する。
時代が違う、
レコード芸術とラジオ技術という掲載誌の性格の違い、そんなことよりも感じるのは、書き手の覚悟の有無である。
いま別項で「純度と熟度」について書いている。
そこで触れている高い純度と高い熟度のバランス、
これを実現している(私がそう思っているだけにしても)モデルは、
そう多くはない。
SME 3012-R Specialは、唯一の例とまではいわないものの、
数少ないモデルの一つである。
なぜ、そうなのかを説明はしない。
3012-R Specialを、きちんと使ったことのある人ならば、
納得されるはず。
自転車(ロードバイク)のフロントフォークも、
いまやストレートフォークばかりになっている。
ストレートフォークを最初に採用したのは、
イタリアのコルナゴのはず。
1990年代の半ばごろから登場してきた、と記憶している。
ストレートフォークが登場したばかりのころ、あんまり美しくないなぁ、と思っていた。
それまでのロードバイクのスタイルとのあいだに違和感を覚えていた。
なんだろう、この違和感は……、と、
なぜそう感じるのだろうか、
とあれこれ考えていた時期があった。
従来の、先端がカーヴしているベンドフォークは、
いまでは限られたモデルのみである。
いまではストレートフォークであっても、登場まもないころの違和感は、ほとんど感じなくなった。
こちら側が慣れてしまっただけなのかそう思うことはない。
ベンドフォークのロードバイクを見ると、
やっぱりベンドフォークだ、と思うからだ。
ストレートフォークのロードバイクは、乗ったことがない。
乗れば、やっぱりストレートフォークだな、と、
ころっと変ってしまうかもしれないが、
そうなったとしても、ベンドフォークは美しい。
このことにかわりはない。
プロの自転車乗りならば、勝利が求められているのだから、
どちらが美しい、とかは関係ない。
勝てる機材としてのロードバイクであって、
そのためのストレートフォークなのだろう。
細身のベンドフォークと3012-R Special。
決して懐古趣味からそう感じるわけではない。
十一年ぶりの引越しだった。
一つのところに十年以上住んだのは、
東京で暮らすようになってからでは、ここだけだった。
十一年前の引越しはさほど大変ではなかった。
でも今回は大変だったのは、
少しずつ、いろんなモノがたまって、増えていっていたからなのは、
最初からわかっていたけれど、それでも多かった。
とにかく今日は部屋に収めただけという状況で、
これもiPhoneで書いている。
なので、まだスピーカーから音は鳴っていない。
ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲が聴けるようになるのは、
もう少し先になる。
昔からいわれていることを、実感していた。
モノーラル録音は、モノーラル再生すること、である。
つまりスピーカーを片側一本だけにして聴く。
そのことの重要性を、あらためて感じていた。
左右のスピーカーシステムの特性が、どの項目においても完全に一致していて、
聴いた印象においても、まったく同じ鳴り方をするのであれば、
さらに部屋の条件も、左右のスピーカー周りにおいてまったく同一であり、
とにかく部屋を含めて左右の特性、条件がすべてにおいて完全一致している、
そんな理想的な状態ならば、モノーラル録音を、左右のスピーカー二本で鳴らしても、
今回のような結果が得られるのかもしれないが、
それだけのことを実現するのは、まず無理といっていい。
ならばどちらか片方のスピーカー、もしくはモノーラル録音専用に、
一本だけのスピーカーを用意するか。どちらかである。
モノーラル録音を、左右二本のスピーカーで再生した場合、
左右のスピーカーから発せられた音は空間合成されるわけだが、
左右のスピーカーの音が完全に一致していることはまずありえない。
部屋の条件が、そこに加わるわけで、そういった状況下では空間での音の合成は、
打ち消される、もしくは弱まるところも生じているはずだ。
それはほんのわずかなことなのかもしれないが、
こうやってモノーラル録音を一本のスピーカーだけで聴いた時の、
演奏の表情の豊かさは、やはり二本のスピーカーでの再生は、
なにかが打ち消されている──、そうとしか思えない。
ヌヴーのヴァイオリンも素晴らしかったし、
カスリーン・フェリアーの歌も素晴らしかった。
菅野先生もモノーラル録音を聴かれるときは、片方のスピーカーだけで鳴らされていた。
今日からOTOTENなのだが、今年は行けそうにない。
引っ越しの準備もあるけれど、引っ越しがなかったとしても無理。
オーディオショウなんて──、という人は少なくない。
行ったところで、いい音が聴けるわけでもないし──、
そんなことを言う。
その気持もわからないでもないが、行けば楽しい(というか楽しめる)わけで、
たとえ二時間程度であっても、時間がとれれば行くようにしていたけれど、
今年はそれすら無理。
(その2)で書いているが、
ハーベスの輸入元がエムプラスコンセプトからサエクコマースにかわっている。
ハーベスも、聴きたかったモノの一つだったけれど、聴けずじまい。
今度の月曜日(6月24日)に引っ越す。
新しい部屋で最初に鳴らすのは、
ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲かな、とおもっている。
それに7月3日のaudio wednesdayでも、かけようとおもっている。