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Date: 8月 27th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その6)

ハイレゾと呼ばれているものは、
いわゆる波形再現の精度を高めていく方向である。

アナログディスク時代、波形再現の精度を高めていく方向は、
ハイコンプライアンス化であった、といえよう。

カートリッジの振動系の軽量化、それに伴う軽針圧化、
針先の形状は丸針から楕円針、さらには超楕円とよばれる形状へ、
トーンアームも軽量化されていった。

その流れのなかで、オルトフォンのSPUやEMTのカートリッジは生きのびていた。
MC型カートリッジのブームが、1970年代の終りに訪れた。

軽量化の中心にあったのは、MM型やMI型であり、
MC型はローコンプライアンス、重針圧に属するモノであった。

SPUの針圧は3gが目安だった。
軽量化を誇っていたカートリッジの針圧は1g台に入っていたし、
1gを切るカートリッジもあらわれていた。

理屈のうえでは、軽量化しやすいMM型、MI型カートリッジのほうが、
音溝の追従性ということでは、重量級のMC型よりも優れている、といっていい。

にも関わらずSPUやEMTのカートリッジは、常に評価されてきたからこそ、
製造中止になることなく、現在に至っている。

MM型、MI型は、いわば電圧発生器である。
MC型は電力発生器である。

電圧なのか電力なのか、この違いは波形再現だけをみていては関係ないことになろうが、
スピーカーから出てくる音を聴くうえでは、無視できないどころか、
大きな違い、本質的な違いでもある。

MM型とMC型の電圧と電力の関係については以前書いているし、
長島先生の「図説・MC型カートリッジの研究」(ステレオサウンド刊)、
その他の方も発言されていることなので、ここではくり返さない。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その5)

波形再現について考える前に考えなければならないことは、
そこで表示される波形は、どこまでの情報を含んでいるのか、がある。

昔ながらのペンレコーダーで記録用紙に描いていく測定では、
ペンの重量、慣性の影響があるためが、
いまではコンピューターのディスプレイに表示することが可能であり、
ペンレコーダーに起因する問題は生じない。

ディスプレイも高精度になってきている。
より細部まで検討することができる。

それでも、そこで表示される波形は二次元のデータでしかなく、
そこから音色を読みとれることができるのか、という疑問がある。

音源通りの波形が完全(そんなことはありえないだろうが)に再現されたとして、
そこで鳴っている音は、音色の再生でも完全といえるのか。

音色とは、文字通り音の色である。
視覚的な色は、光があるからこそ色が存在する。
そのことは誰でも知っている。

光がなければ色はない。
光が変化すれば、色も微妙に変化する。

ならば音の場合の光は、何に当るのか。
視覚的な色と聴覚的な色を、同一視できるのかということも考えなければならないが、
音色も、光によって色が変るように、何かによって変っていくものと感じている。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その4)

実際には無理なのだが、仮にすべて同条件での測定が可能になったとして、
何をもって正確な波形再現がなされているかの基準が、
アナログディスクの場合、ないといえる。

アナログディスクを再生した波形と、
マスターテープの波形が一致することは、まずありえない。

こまかな説明は省くが、マスターテープを再生したテープデッキの信号を、
カッティング時において正確にラッカー盤に刻んでいるという保証はない。
しかも、そのラッカー盤を聴いているわけではない。
それを元にプレスされた盤が、市販されているアナログディスクである。

ここでもありえないことだが、仮に正確にカッティングされ、
ラッカー盤のクォリティを完全に維持したままのアナログディスクがあったとして、
今度はカートリッジのトレースの問題がある。

カッターヘッドについている針とカートリッジの針とでは、形状が違う。
このことに起因する問題は、アナログプレーヤの教科書的な本のほとんどで書かれている。

ことこまかに書かないが、こんなふうに細部まで検討すればするほど、
アナログディスクでの波形再現という測定は、絶対的とはいえず相対的なデータということになる。

ならばデジタル(CD)ではどうか。
CDならば、アナログディスクのように溝がすり減るということはない。
それにマスターテープが、CDと同じ規格(44.1kHz、16ビット)でデジタル録音されていれば、
波形再現の測定に使えるはずと考えがちになる。

たしかにアナログディスクよりはCDのほうが……、といえよう。
けれど厳密に考えれば、やはり疑問がある。

とはいえ世の中には完璧なものは何ひとつ存在しないことを考慮すれば、
CDは、測定における再現性を含めての実用の範疇に入ってくる、とはいえる。

そこでデジタル音源(CDには限定しない)を使った波形再現、
それもスピーカーを含めてのシステム全体としての波形再現は可能なのか、
そこでの測定から読みとれることは何なのか。

Date: 7月 31st, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その3)

ステレオサウンド 48号でのレコードレベル記録測定のブロックダイアグラムをみると、
被測定プレーヤーは、80kg定盤の上にのせられている。

アナログレコードを使って測定なのだから、
外部からの振動・衝撃が被測定プレーヤーに伝わってしまっては、
その振動・衝撃もレコードレベルとして記録されてしまう。

80kg定盤とあるだけで、詳細はついては書いてなかった。
80kg定盤だけで、外部振動・衝撃を完全に遮断することは無理だから、
わずかとはいえ、それらの影響も測定結果にあらわれているはずだ。

そうなってくると、厳密な測定は非常にむずかしい。
私がいたとき、測定は三回やっていた。
アンプの歪率の測定の場合でも、必ず三回同じアンプで同じ信号で行う。
測定ミスが起っていないかを確認するためでもある。

それに測定は何機種も行う。
アナログディスクで、一機種あたり三回行い、
20機種とか30機種の測定になるわけだから、
30機種であれば90回、同じアナログディスクを再生することになる。
そうなると、アナログディスクの傷みも問題となる。

測定ごとにディスクも交換したら……、
これはこれで厳密な測定とはいえなくなる。
複数枚の同タイトルのアナログディスクの溝の状態が同一という保証はない。

すり減りにくいアナログディスクがあったとして、
カートリッジを被測定プレーヤーに取り付けて、
高さの調整、ゼロバランス、針圧の調整、
場合によってはラテラルバランス、インサイドフォースキャンセラーの調整を行う。

針圧は正確な針圧計をもってくれば、同じにできるが、
高さ、ラテラルバランス、インサイドフォースキャンセラーの量を、
すべて同一条件にできるかというと問題もある。

それからカートリッジの左右の傾きも調整してなければならない。

針圧をわずかに変化させただけで音は変化する。
その変化量がレコードレベルの測定結果にもあらわれるはずだから、
アナログディスクを使った波形再現の測定は、
メーカーが実験的に行うことはあっても、
オーディオ雑誌に客観的データとして掲載することは、
細心の注意を払ったとしても、種々の問題をクリアーできるとはならない。

Date: 7月 26th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その2)

ステレオサウンド 48号の測定は長嶋先生が行われている。
146ページの囲みも長嶋先生が書かれているのだろう。

そこには《グラフに現われる山の形はカートリッジを替えても変るため、プレーヤーのみならず、他のコンポーネントにも応用できるだろうと考えている。もっと細部まで検討してから発表するつもりでいる。ご期待いただきたい。》
とあった。

それまで測定に使われる信号といえば正弦波ばかりといっていい。
正弦波による測定がわかるのは、いわゆる静特性であり、
実際の音楽信号を使った測定による動特性とははっきりと区別しなければならない。

私は48号の囲み記事を読んで期待していた。
すぐにはないだろうが、ステレオサウンドは48号での測定をさらに検討・発展させ、
動特性の測定を行なってくれるであろう、と。

けれど実際には行われなかった。
測定の難しさが関係してのことかもしれない。

試聴もそうだが、測定も再現性が求められる。
同じ条件で試聴、測定をやって、同じ結果が得られるか、という意味での再現性である。

この再現性が十分に確保されていないと、クレームを受けることにつながってしまう。

ステレオサウンド 48号は1978年である。
CDが登場する三年前であり、それゆえの難しさがあったことは容易に想像できる。

Date: 7月 26th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その1)

ステレオサウンド 48号で、
アナログプレーヤーのブラインドフォールドテストが行われている。
測定も五項目、行われている。

そのひとつにレコードの音楽波形レベル記録というのがある。
実際にレコードを再生して、その波形を記録したもの。

使用されたレコードは、アシュケナージによるベートーヴェンのピアノソナタ第23番、
カートリッジはオルトフォンのSPU-G/E、コントロールアンプはヤマハのC2、
サブソニックフィルターはオンにしての測定結果である。

誌面に掲載されているレベル記録のグラフは横幅10cmくらいで、
そこにアシュケナージの「熱情」の冒頭五分間のレベルが描かれているため、
各プレーヤーによる違いを細部まで比較するには、小さすぎる。

しかもすべての機種の測定結果が同じページに掲載してあれば比較もしやすいが、
それぞれのプレーヤーごとにわかれているため、よけいに比較しにい。

それでもいくつかピックアップして丹念にみていけば、
一見同じようにみえる波形であっても、違いがある。

48号の146ページには、囲みで、拡大したグラフの比較が行われている。
EMTの930stによる波形と、1973年ごろのローコストのダイレクトドライヴ型の波形である。

こちらは拡大してあるのと上下に並べてあるだけに、比較がしやすい。
どちらの波形がより正確かはこれだけではいえない面もあるが、
とにかくふたつの波形が違うことは、想像以上にある、と感じた。

Date: 7月 15th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(聴き方こそが……)

オーディオを熱心にやってきた人が、
ある程度キャリアを積んでいうことがある──、
「最後は部屋だよ」と。

さらには「最後は部屋なんではなく、最初から部屋なんだよ」という人もいる。
そのくらいに部屋(リスニングルームという環境)が、
音に与える影響は大きいのはいうまでもないこと。

音を支配する、とまでいう人もいる。

「五味オーディオ教室」には、
《再生音は部屋がつくり出す》とあった。
組合せにおける相性は、つまり部屋との相性だ、ともあった。
まったくそのとおりだ。

もちろん、オーディオ機器も関係してのことである。

そんなことはわかったうえでいおう、
再生音を決めるのは、その人の聴き方である、と。

Date: 7月 13th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(歴史の短さゆえか・その3)

1980年代なかごろだったか、
料理評論家の山本益博氏が「考える舌」ということばを使われた。

少し曖昧な記憶だが、
食通といわれるだけの舌を生むには、親子三代の時間が必要。
自分は、そういう環境に生れ育っていないからこそ、考える舌を身につける──、
そんな趣旨のことだった。

山本益博氏の考えに完全に同意するわけではないが、なるほど、と思った。
そういう側面はたしかにあるように感じる。

このことをオーディオにあてはめれば、親子三代オーディオマニアということになる。
1980年代では、親子三代オーディオマニアはいなかったかもしれない。

井上先生は親子二代オーディオマニアだった。
ほとんどの人が一代かぎりのようだった。

考える舌は、オーディオマニアならば考える耳なのか、と考えた。
誰もが考えつくことを考えたが、
親子二代オーディオマニアの井上先生はしきりに「頭で聴くな、耳で聴け」といわれていた。

頭で聴くな、とは、音を聴いている時に考えるな、ということだ。
考えてしまうからこそ、ちょっとしたことで判断を間違ったり,だまされたりする。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(歴史の短さゆえか・その2)

オーディオマニアが、あるオーディオ機器の音を聴いて、
「このスピーカーは、いい音だ」とか「このアンプをいい音を出す」とか口にしようものなら、
オーディオに無関心、もっといえば否定的な人からは、
「ほら、オーディオマニアは音しか聴いていない」といわれそうだ(間違いなくいわれるだろう)。

なぜか、この場合の「いい音」は、
音楽と遊離・乖離したものとして受け止められる。

けれど「このピアノはいい音だ」、「ストラディヴァリウスはいい音を奏でる」とか、
「ウィーンフィルハーモニーの音はいい音がする」とか、
オーディオに関心のない人でも、あたりまえに言っている。

この場合(生の音)は、音楽と遊離・乖離していない──ようなのだ。

Date: 7月 4th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(“The Hollow Men”)

Between the idea
And the reality
Between the motion
And the act
Falls the Shadow
     For Thine is the Kingdom

Between the conception
And the creation
Between the emotion
And the response
Falls the Shadow
     Life is very long

Between the desire
And the spasm
Between the potency
And the existence
Between the essence
And the descent
Falls the Shadow
     For Thine is the Kingdom
(T.S.エリオットの“The Hollow Men”より)

“Falls the Shadow”
「影が落ちる」という訳もあるし、
「幻影があらわれる」という訳もある。

影にしろ幻影にしろ、実体ではなく、
shadowを再生音として捉えるのならば、
このT.S.エリオットの“The Hollow Men”(うつろな人びと)は、
再生音がどこにあらわれるのか、
だからこそ再生音とは……、について示唆にとむ。

Date: 6月 17th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(歴史の短さゆえか・その1)

ステレオサウンド 38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」、
その中で、井上先生が最後に語られている。
     *
 ほとんどすべての人間が生まれながらに現実の音に反応しているはずです。それが再生音になると、どうしても他人の手引きや教えばかりをもとめるのか。いい音というのは、あなたがいまいいと思った音なんてすよ、とぼくはいっておきたい。つまり結局は、ご自分で探し出すことでしかないんです。
     *
なぜ再生音になると、そうなってしまうのか。
ひとつには、再生音の歴史が短いということが深く関係しているのかもしれない。

エジソンの発明から140年。
このころは録音・再生に電気を必要としなかった。

電気録音が行われるようになり、電蓄が登場するようになってからは、100年ほどしか経っていない。
SPの時代であり、モノーラルの時代でもある。

ステレオの時代になってからだと、まだ60年ほどである。
ステレオとは虚像である。
虚像の再生音を聴くようになってから、まだ60年と考えれば、
人がその判断に迷ってしまうのは、むしろ当然なのかもしれない。

Date: 6月 10th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その3)

中学一年のことだから、まだ「五味オーディオ教室」に出逢う前のことだ。
クラスで、A0くらいの大判の紙に好きなことを書こう(描こう)ということになった。
書きたい人だけで、ということだった。

私は鉄腕アトムの絵を描いた。
できるだけ正確に描きたいと思った私は、
元の絵に、薄くマス目を描いた。

描く先の紙にもマス目を薄く描いた。
マス目の大きさは拡大して描くので、その分大きくしていた。

元の鉄腕アトムを描いている線が、
マス目のどのあたりを通っているのか、それを丹念に見ては、同じところを通るように描いていった。

小学生のころから、手塚治虫のキャラクターはよくまねて描いていたから、
鉄腕アトムにしても、こんなめんどうなことをしなくとも、ある程度は描けていた。

それでも、このときはそっくりそのままの鉄腕アトムを描きたかった。
結果は、元の絵と寸分たがわず拡大したものが描けた。

クラスの半分くらいが好きなことを書いた(描いた)紙は、教室の壁に張られた。
社会科の時間だったか、先生が、私が描いた鉄腕アトムを指さして、
ひじょうにうまく描けているけれど、手塚治虫が描いたものではない、ということをいわれた。

なぜ、授業中にそんなことをわざわざ話されたのかまでは、いまとなっては憶えていないが、
いまごろになって、ふと思い出した。

いわれるとおり、どんなにうまく、というよりも正確に描いたところで、
私が描いた鉄腕アトムは、手塚治虫が描いた鉄腕アトムではないのは事実である。

鉄腕アトムに限らず、マンガはマンガ家が描いた原画が印刷所にまわされて、
大量に印刷されて本になり、市場に出回る。

週刊誌の紙の質はそれほどいいわけではない。
そこに印刷されているわけだが、
それでも、そのマンガの読み手は印刷されたキャラクターを、
そのマンガ家が描いたものとして認識する。

Date: 5月 11th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その2)

ステレオサウンド 9号。
1968年12月に出ているステレオサウンドに、
「オーディオの難題に答えて」という記事が載っている。

副題として「読者オーディオ身上相談集」とあることからわかるように、
読者からの質問に対して、複数のオーディオ評論家が答えるという内容だ。

六つの質問がある。
読者によるペーパープランの組合せについて、であったり、
グレードアップを無駄なくするためには、とか、
改良と改悪について、だったりとかだ。

その中に、〝原音再生〟の壁を破るには何を狙ったらよいでしょうか? がある。
上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏が答えられている。

菅野先生は録音側から答えられている。
上杉先生はハードウェアに即しての回答である。

瀬川先生は、こうだった。
     *
 生と再生音の関係は、ただひと言でいうことができます。それは──
〈あなた自身〉と〈写真に映されたあなた〉の関係です。
 写真とひと口にいっても、モノクロームありカラーあり、印刷もスライド投影もある。ステレオ写真という「のぞき絵」もあれば、映画もある。わたくしのいう「写真」とは、広い意味での映像文化全体の将来まで含んで指しているのですが、かりに映像の技術がどこまでも進んでも、そうして写しとられたあなたがどこまであなた自身に似せられたとしても、それは決して〈あなた自身〉にはなりえず、しかも写っているのはまぎれもなく〈あなた〉に外ならない……。
 わたくしはこれですべてを語っているつもりですが、誤解をさけるためにあえて蛇足を加えれば仮に将来、現在の二次元の映像がやがてタッソオの蝋人形もどきの立体になり声までそっくり似せられるようになったとしても、結局それはあなた自身ではありえない。再現の技術の果てしない追求というのは、こうして極限を想像してみると、およそ無気味なものです。蝋人形にせよロボットにせよ、思考能力が無かろうなどといおうとしているのではない物理的な次元でイクォールが得られたとしても、再現されたものはジャンルが違う、同じであっても同じものではない、といいたいのです。
     *
瀬川先生の回答はまだまだ続く。
興味のある人はステレオサウンド 9号をお読みいただきたい。

Date: 5月 11th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その1)

再生音について考える必要はあるのか。
そう思われる人もいよう。
そんなこと考えなくとも、自分のシステムでいい音が聴ければいいのであって、
「再生音とは……」について、時間を割いてまで考えて何になるのか。

そういう人にとっては、この項はひどくつまらないであろう。

再生音はスピーカーから鳴ってくる音。
それ以上でもそれ以下でもない。

こんなふうに言い切れれば楽だ。
確かにスピーカーから鳴ってくる音が、再生音であるが、
それだけで再生音の正体について語っているとはいえない。

ステレオサウンド 38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」、
その中で、井上先生が最後に語られている。
     *
 ほとんどすべての人間が生まれながらに現実の音に反応しているはずです。それが再生音になると、どうしても他人の手引きや教えばかりをもとめるのか。いい音というのは、あなたがいまいいと思った音なんてすよ、とぼくはいっておきたい。つまり結局は、ご自分で探し出すことでしかないんです。
     *
再生音だと、なぜそうなってしまうのか。
これを読んだ時から、ずっと心にひっかかっている。
ひっかかり続けているから、この項を書いている。

再生音の正体について考えず、正体がはっきりとわからぬままオーディオをやっていても、
いい音は出せる。
ならば、それでいいじゃないか。

そう思わないわけではない。
それでも再生音の正体をわからぬままオーディオをやっていくことに、
むなしさ(とまでいってしまうといいすぎに感じるが……)をおぼえる。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(英訳を考える)

音の英訳はsoundが、まず浮ぶ。

では再生音の英訳は? というと、
Google翻訳では、playback soundと出る。
直訳すぎる。

再生の英訳は、playbackの他に、reproductionも出てくる。
再生音の英訳ならば、playback soundよりも、
reproduction soundのほうが、まだしっくりくる。

忘れがちになるが、acoustic wavesも音の英訳である。
playback acoustic wavesとかreproduction acoustic waves、
そんな英訳はしたくない。

でも確かに音はacoustic wavesである。
ならばartificial wavesが、再生音の英訳であってもいいのではないだろうか。