所有と存在(その22)
音も音楽も所有できない。
オーディオにゴールはない、通過点があるだけだ。
私は、そういう考えでオーディオをやっているし、
オーディオで音楽を聴いている。
もちろん、私と正反対な考えもいる。
それはそれでいい。
私と同じに考える人、
正反対に、音も音楽も所有できる、
ゴールはあり、それを目指している人。
大切なのは、前者の場合、存在の「重さ」のはずだ。
音も音楽も所有できない。
オーディオにゴールはない、通過点があるだけだ。
私は、そういう考えでオーディオをやっているし、
オーディオで音楽を聴いている。
もちろん、私と正反対な考えもいる。
それはそれでいい。
私と同じに考える人、
正反対に、音も音楽も所有できる、
ゴールはあり、それを目指している人。
大切なのは、前者の場合、存在の「重さ」のはずだ。
HiVi 2025年春号が、Kindle Unlimitedで読める。
特集は、Qobuz。
読み応えがあった。
ステレオサウンドの記事とは、真剣度が違う。
昨年10月下旬に日本でのサービスが開始になった。
関心を持っているけれど──、という人は少なくないと思う。
いきなり高額な機器を導入して、ということにためらいもあるだろう。
そういう人にとっても、HiViの今号は役に立たはず。
QobuzもTIDALもスマートフォンとヘッドフォン(イヤフォン)、
それに小型のD/Aコンバーター兼ヘッドフォンアンプがあればすぐにでも始められる。
そして予算に応じて、いくつものアプローチがあるわけで、
そこらあたりについてもきちんと取り上げている。
どの段階から始めるのかはその人次第なのだが、一人でいくつもの段階を楽しんでもいいわけで、
今号のHiViは、その点でも実用的であり、
製品情報も表によってある程度整理されている。
これらの情報は、インターネットで収集できることといえばそうなのだが、
今号の、HiViは一冊にまとめている。
HiViは月刊誌から季刊誌になったことが活かされている。
ステレオサウンドの取り組み方のぬるさとは対照的でもある。
黒田先生がフルトヴェングラーについて書かれている。
*
今ではもう誰も、「英雄」交響曲の冒頭の変ホ長調の主和音を、あなたのように堂々と威厳をもってひびかせるようなことはしなくなりました。クラシック音楽は、あなたがご存命の頃と較べると、よくもわるくも、スマートになりました。だからといって、あなたの演奏が、押し入れの奥からでてきた祖父の背広のような古さを感じさせるか、というと、そうではありません。あなたの残された演奏をきくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき、同時に、この頃ではあまり目にすることも耳にすることもなくなった、尊厳とか、あるいは志とかいったことを考えます。
(「音楽への礼状」より)
*
私にとってのシーメンスのEurodynは、まさにフルトヴェングラー的存在である。
少しもスマートなスピーカーではない。
造りも音も、佇まいもそうである。
スピーカー本体としてはそれほど大きくもないし、重くもないが、
この劇場用スピーカーは、平面バッフルとして、2m×2mほどの大きさを要求するし、当然部屋の広さも、それに見合うほどを要求する。
何もかもがスマートではない。
けれど、Eurodynがきちんと鳴った音を聴けば、《時代の忘れ物》に聴き手は気づくはずだ。
気づかない人もいよう。そういう人はフルトヴェングラーの演奏を聴いても、そうなのだろう。
とにかくEurodynは、そういうスピーカーだから、
アンプを選ぶともいえる。
そんなEurodynにアインシュタインのOTLアンプを接いだ音に、
私は違和感を覚えることなく音楽を聴けたし、
この組合せで、クナッパーツブッシュの「パルジファル」、
それもMQAで、さらにはメリディアンのULTRA DACで聴けたらな──、
そんなことまで想っていた。
先週、映画「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」を観てきた。
そろそろ大スクリーンでの上映も終りになるころだろうから、
それにちょうど時間も空いたので、観た。
主人公は、タイトルが示す通りキャプテン・アメリカ。
初代のキャプテン・アメリカではなく、二代目のキャプテン・アメリカ。
二代目は、初代とは違い、血清による超人的な力は持っていない。
それでもキャプテン・アメリカなのだが、観ているうちにキャプテンとリーダーの違いについて、なんとなく考え始めていた。
「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」中でのリーダーは、
ハリソン・フォード演ずるアメリカ大統領である。
だからキャプテン・アメリカはアメリカのリーダーではないのか、
キャプテンとつくぐらいなのだから、キャプテンなのか。
リーダーとキャプテンの違いは──、
この項で書いているオーディオ・ジャーナリズムにおけるリーダーとキャプテンとは?
そんなことを考えるようになっていた。
《いまは、恥じらいなどというものがまるでない、しったかぶりと自己宣伝全盛の時代である。》
ステレオサウンド 61号(1981年12月発売)、
「さらに聴きとるものとの対話を 内藤忠行の音」で、黒田先生が書かれている。
1981年は四十年以上前。
恥じらいなどというものがまるでない、しったかぶりと自己宣伝全盛の時代が、いまも続いているどころか、
ひどくなっている。
恥じらいが失われつつあるからなのか。
だとしたら、なぜそんなふうになっていったのか。
そして、このことは人に限ったことでもない。
オーディオ機器、それもハイエンドオーディオ機器の中には、
そう感じてしまうモノがないわけではない。
音のためだったら──、なんでもやっていいのだろうか。
スピーカーが、どんな表情で鳴っているのか(歌っているのか)。
怒り顔で鳴っているのか、苦虫を噛み潰したよう顔で、なのか、
寂しそうな表情なのか、まったくの無表情なのか、
それとも微笑んでるのか。
そのことに無頓着で、スピーカーを鳴らした、とは言えない。
スピーカーからの音を聴いているとき、
目の前を人がよぎれば、音は変化して聴こえる。
どんなに音に無頓着な人でも、
目を閉じて聴いていたとしても、
スピーカーと自分との間を誰かか歩いていくわけだから、
音が変化するのは、わかるものだ。
ただスピーカーによって変化量は違ってくる。
Ktêmaは、その変化量が少ない。
音が変化しないわけではないが、極端に変るスピーカーもけっこう数多く存在するなかで、
Ktêmaは変化量の、かなり少ないスピーカーといえる。
エンクロージュアの形からくる効果なのか、独特のユニット配置からくることなのか、
これら二つがうまく作用してのことなのか、
いまのところなんとも言えないし、どういうことをもたらしているのか、
そのこともわからないが、
これからKtêmaを聴く機会がある人は、このことにも関心を払ってほしい。
別項で、
音は、オーディオはどこまで行っても通過点である、と書いたばかりだ。
このことは言い換えれば、ゴールはない、ということでもある。
オーディオマニアの中には、ゴールに最短距離で進んでいると豪語する人がいる。
その人はそれでいい。とやかくいうことでもない。
私とは、音、オーディオの捉え方がまるで違うのだろう。
くり返す、
音は、オーディオはどこまで行っても通過点である。
だからこそ「終のスピーカー」を求めていたのかもしれない。
4310から続くシリーズは、いまも作られている。
4311になり、いまは4312となり、型番末尾にアルファベットがつくようになった。
ロングセラーモデルといえるわけだが、ロングライフモデルとも思っていた。
けれど最近は、少し考えを改めた。
なぜJBLは、4312SEからウーファーにローパスフィルターを足すようになったのか。
4310から4311、4312の途中までの特色は、
ウーファーにはネットワーク(フィルター)が介在しないことでだった。
このことによる音の特徴はあったわけで、それをJBLは辞めてしまった理由について考えると、
時代にそぐわなくなったということもあるだろうが、
長く使っていることで生じる劣化もあるのではないのか。
ローパスフィルターを必要としない設計のウーファーは、
ボイスコイルボビンとコーン紙の接合にコンプライアンスを持たせる。
このコンプライアンスによってメカニカルフィルターを形成しているわけだが、
この部分は経年変化によって、どう変化していくのだろうか。
硬くなっていくとしたら、メカニカルフィルターが効かなくなってくるわけで、
スコーカーの帯域までウーファーからの音がかぶってしまうようになるし、
反対に柔らかくなれば、メカニカルフィルターの効きが、より低い周波数に移行することになり、
スコーカーの受持帯域との間にギャップを生じることになるはずだ。
実際のところ、どうなのだろうか。
私の周りには、以前鳴らしていたことはある人はいるけれど、いまも鳴らしている(長いこと使っている)人はいないから、
確かめようがないが、初期特性を維持したまま鳴っているとは考えにくい。
このことを配慮しての4312SEなのかもしれない。
昨晩、(その1)を書いたあとにステレオサウンド 233号のベストバイを読み返した。
DD67000もS9900も、選ばれていない。
そういう時代なのか……、と思いながら、
この結果からして、すでにJBLのフラッグシップモデルは不在ともいえるのかもしれない、とも感じていた。
現時点でのフラッグシップモデルが製造中止になれば、
その下のモデルがフラッグシップモデルとして繰り上がるわけで、
フラッグシップモデルがJBLからなくなるわけではない。
そんなことは承知の上で、DD67000とS9900がなくなることは、
個人的にJBLのフラッグシップモデルの不在となる。
1976年に4343が登場したのと同じ頃に、「五味オーディオ教室」に出逢い、
オーディオの世界に入っていた私には、
常にJBLにはフラッグシップモデルと素直に呼べるスピーカーシステムがあった。
そんな時代も、終るのだろうか。
ソーシャルメディアを眺めていたら、B&OのBeogram 4000の写真が表示された。
サンローランから、Beogram 4000Cとして、10台のみ発売になる、というニュースだった。
日本語で、これを伝えているサイトでは550,000円としていたが、
サンローランのウェブサイトを見ると、5,500,000円と一桁違う。
完全な新品ではない。
これを高いと感じるのか、安いとするのか。
人それぞれの価値観によって違ってくるだろうが、
私がまず思ったのは、故障したらどうなるのかだ。
B&Oが完全に修理してくれるのか。
もともと故障しやすいモデルであるし、
カートリッジもB&Oのモノしか使えないから、
カートリッジの針交換は、どうなるのか。
そんなアフターサービスのことをまず思った。
このモデルをためらいなくポンと購入できる人は、そんなことを心配しないのか。
トロフィーオーディオとして飾っておくだけのモノならば、
それでもいいのだろうけど。
JBLのDD67000とK2 S9900の製造中止のニュース。
どちらも元となったモデルから数えればかなりのロングセラーモデルであり、
両機種の製造中止そのものは特に大きな驚きではないが、
これらに代わるフラッグシップモデルのウワサが聞こえてこない。
そこにもやもやしたものを感じる。
別項で書いているが、JBLの次期フラッグシップモデルは、
JBL ProfessionalのM2をベースにしたモノになるのでは?
という予想をした。
結局、いまのところ、それにあたるモデルは登場していないが、
それでもいつかは世に現れるであろう、と期待している。
でもフラッグシップモデル両機種を製造中止にしたニュースに触れると、
それも期待できないのでは──、と思えてくる。
今年秋のインターナショナルオーディオショウに新しいフラッグシップモデルが登場するのか、
まったくそうではないのか。
2月のaudio wednesdayでは、Ktêmaを正面、もしくは少しずれた位置で聴いた。
3月の会では、右チャンネルのKtêmaのほぼ真横で聴いている。
こんな位置で聴いていても、なんとなくステレオ的に聴こえていた。
同じことを、来られた方からも聞いている。
これはKtêmaだからなのか。
それもある。
けれどそれだけではない。
四谷三丁目の喫茶茶会記でも、同じ体験をしている。
スピーカーは、もちろんKtêmaではなかった。
アルテックの2ウェイに、JBLの075を足したシステムだった。
この時、少しばかり席を外して戻ってきたとき、ドア付近で立って聴いていたのだが、
その時の感じが、今回に近かった。
この時は左チャンネルのスピーカーよりも外側で聴いていたのだが、
コンサートでその位置からステージを見ているような感じで、音が定位していた。
不思議な感じだった。
この時感じたことを、ブログに書こうと思いつつも、そのまま書かずにいた。
今回、同じ感覚を味わって書いている。
スピーカーも違う、アンプも違う、部屋も違う。
共通していたのは、メリディアンのULTRA DACでMQA-CDを鳴らしていたことだ。
音は残らない。
どんなにいい音を出しても、それが残るわけではない。
だから、いいと思う。
私がいま鳴らしている音も、私が死ねばそれで終り。
システムはそのまま残ったとしても、
そうだからいって、私が鳴らしていた音が出てくるわけではない。
しばらくはなんとなく、そんな感じの音は出ていても、
それは遅かれ早かれ消えてしまう。
音とは、オーディオとはそういうものだということは、以前から感じていた。
audio wednesdayで音を鳴らすようになって、よけいに感じている。
毎月第一水曜日に鳴らす音は、その場かぎりの音である。
どんなにいい音で鳴っても、システムそのものもその日かぎりだったりするから、
儚さを感じるかといえば、そうでもない。
音は、オーディオはどこまで行っても通過点である。
いい音が鳴ってきた日の音は、はっきりと通過点となる。
そうしていくつもの通過点がある。
それらの通過点を、そのまま通過点として点在させているだけなのか、
それとも通過点を結んでいけるのか。
「音は人なり」とは、こういうことでもあるはずだ。
3月5日のaudio wednesdayでも、今回の仮想アースをやっていた。
外した音、取り付けた音の確認は準備中にやっているので、
当日来られた方に比較試聴は体験してもらっていない。
今回は、アインシュタインのコントロールアンプのアース端子に接いだ。
今回使ったモノは、2月29日に、改めて作ったヴァージョン。
前回のモノと大きな違いはないが、今回のモノの方が効果は大きいように感じられる。
こうやっていくつかのヴァージョンを作って、比較試聴を行えば、
なぜ、これがいい方向に作用するのかの仮説は立てられるかもしれない。