あるスピーカーの述懐(その50)
「比較ではなく没頭を」は、
フルトヴェングラーの言葉である。
そのとおりなのだが、ことオーディオ機器の購入に関しては、
比較するからこそ購買意欲が湧いてくるだろうし、
増していくともいえよう。
比較することに没頭してしまうことにもなるかもしれない。
そのため最良の選択ができなかったことがあっても不思議ではない。
「比較ではなく没頭を」は、
フルトヴェングラーの言葉である。
そのとおりなのだが、ことオーディオ機器の購入に関しては、
比較するからこそ購買意欲が湧いてくるだろうし、
増していくともいえよう。
比較することに没頭してしまうことにもなるかもしれない。
そのため最良の選択ができなかったことがあっても不思議ではない。
(その38)でも、別項でも引用している瀬川先生の文章。
*
しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ思ったものだ。
だが結局は、アルテックの604Eが私の家に永く住みつかなかったために、マッキントッシュもまた、私の装置には無縁のままでこんにちに至っているわけだが、たとえたった一度でも忘れ難い音を聴いた印象は強い。
*
マッキントッシュのMC275もアルテックの604E(604-8Gも含めて)、どちらも幾度も聴いている。
けれど604EをMC275で鳴らした音は、これまで聴いたことがなかった。
聴いてないとはいえ、この組合せの音はなんとなく想像できなくはないが、
それでも実際の音を聴いてみないことには、
何ひとつ語れないのも音である。
どちらも、すでに現行製品ではない。製造終了からずいぶん経っている。
聴ける可能性は、年々低くなっていくばかり。
それに偶然聴けたとしても、それぞれのコンディションはどうなのか。
単に聴いた、というのでは、むしろ聴かないほうが、
想像しているだけの方がいいのかもしれない。
今日、この組合せを聴いてきた。
一年以上鳴らされていなかった604Eだったし、
少しばかり手が加えられている604Eでもあったが、
それでもMC275で鳴らした音を聴いてきた。
ポン置きでしかないセッティングであっても、
しばらく鳴らしていたら、手ごたえが感じられてきた。
いまのままでは、黄金の組合せとはいえないし、
エリカ・ケートをかけたいとは思わないが、
キチンとセッティングして、チューニングしていけば、
かなりいい感じで、エリカ・ケートのモーツァルトが聴けるようになるのでは、
そうおもわせるぐらいには鳴ってきはじめた。
うまくいけば、秋ごろにはaudio wednesdayで鳴らせるだろう。
エリカ・ケートのモーツァルトは、その時まで鳴らさない。
今年になってから、エラックの4PI PLUS.2を、
audio wednesdayでこれまで三度鳴らしている。
4月、アポジーのDuetta Signatureに、
5月、Western Electricの757Aレプリカに、
7月、メリディアンのDSP3200に足して鳴らしている。
こうやってタイプも音も、
その他のこともかなり違うスピーカーと組み合わせても、
こちらの期待を上廻る結果を聴かせてくれる。
だから鳴らすたびに感心している。
この水平方向無指向性のリボン型トゥイーターは、
どんなスピーカーにも合うような気さえしてくる。
どんなにやってもうまく鳴らない、
つまり相性の合わないスピーカーもあるだろうが、
そういうスピーカーは、いったいどういうスピーカーになるのか。
そのことを想像するのが、また、楽しくなるほど、
このエラックのトゥイーターは、よく出来ていると思うだけでなく、
高域の拡散が、ステレオフォニックの再生には不可欠な要素であることを、
聴くたびに実感するしかない。
そして聴くたびに、ベストバイ・コンポーネントだとも思っている。
ベートーヴェンの第九。
私にとっての第九の愛聴盤は、いまのところ20世紀の録音だけしかない。
21世紀になってから演奏・録音された第九も、
積極的に聴いている。
いいな、と、思った演奏(録音)もあった。
それでも、そのディスクが愛聴盤になっていったかといえば、
いまのところ、そうではない、と答えるしかない。
これから先、愛聴盤となりうる演奏(録音)が登場してくるのか、
それともすでに聴いている21世紀の第九の中の何枚かが、
愛聴盤となっていくのか。
現れてほしい、という気持は強いが、
現れそうにない、と、思ってしまうところもある。
今年の1月から、audio wednesdayで、音を鳴らしている。
オーディオシステムのセッティングはもちろん、
かける曲も私が選んでいる。
つまり自分で聴きたい曲、
言いかえれば、その場に一緒にいる人たちに聴いてもらいたい曲をかける。
リクエストにも応じているが、
リクエスト曲以外は、音楽として聴きたい曲である。
こんなあたりまえのことをいまさら書くのは、
オーディオショウのブースによっては、
本当に、この人は、この音楽が好きなのか、
聴きたいと思ってかけているのか……、
そんなふうに感じることが、けっこうある。
私がそう感じているだけで、かけている人はそうじやない、というだろう。
それでもこんなことを書いているのは、
その人の好きという感情(のようなもの)が、
まったく伝わってこないからだ。
その人自身から伝わってこないだけでなく、
鳴っている音(音楽)からも伝わってこない。
そうでない出展社のブースもある。
でも、そんな出展社のブースも、毎年変わらずある。
8月9日に、映画「ボレロ」が公開される。
予告編を見ていると、けっこういい出来の映画のように思える。
実際の出来がどうなのかは、
劇場で本編を観ないことには何もいえないけれど、
この予告編を見ていたから、
7月3日のaudio wednesdayでかけたくなっていた。
誰の指揮でかけるのか。
クリュイタンスかミュンシュか。
ミュンシュ/パリ管弦楽団の録音を、19時の開始前にかけた。
ボレロを最後までとおして聴いたのは、いつ以来なのか、
思い出せないほど聴いていなかった。
断片的には、どこかで耳にすることはあっても、聴きたくてなって最後までというのは、久しくなかった。
メリディアンのDSP3200とエラックの4PI PLUS.2の組合せ。
そこから鳴ってきたボレロは、
この程度のボレロの聴き手でしかない私の耳を魅了した。
今年のインターナショナルオーディオショウは、
会場側の都合で7月開催なわけで、
暑い時期に……、と思ったりもするが、
学生はちょうど夏休みに入っている。
今年のインターナショナルオーディオショウは、
若い人たちの来場が増えるのだろうか。
増えてほしいし、
はっきりと誰の目にも明らかなほどに増えるのであれば、
これから先、夏休みの時期に開催もあるようになるのか。
一年ほど前から狛江に行く機会が増えた。
毎月第一水曜日は、audio wednesdayで行くし、
それ以外でもたまに行くとこがある。
狛江には、これまで行くことはなかった。
狛江駅も一年ほど前が、初めての利用だった。
改札を出ると高架下に啓文堂という書店があった。
狛江駅付近で、ただ一軒の書店であったけれど、再開発とかで、
さほど経たずに閉店になっていた。
その啓文堂が、先月末に開店している。
場所は以前のところより、少し離れているが、
代わりに広くなっている。
それだけでなく、以前の店舗では、オーディオ雑誌は、なぜか鉄道コーナーにあった。
取り扱っている雑誌も、わずかだった。
それが新店舗では、鉄道コーナーではなく、音楽コーナーになっているし、
雑誌の数も増えている。
それだけのこと、といってしまえることだろうが、
それでもオーディオ雑誌の扱いが減ったりなくなったりしているのが、
当たり前のことになっているだけに、
今回の啓文堂の再オープンは、利用することはないけれど、
嬉しいことのひとつだ。
audio wednesday (next decade) – 第七夜は、8月7日である。
時間、場所はこれまでと同じ。
5月の第四夜と同じスピーカー、757Aのレプリカを鳴らしてみようと考えている。
タイプはまるで違うが、パワーアンプを二台用意できる。
アキュフェーズのA20VとマッキントッシュのMC275である。
それにアキュフェーズのデヴァイダー、DF35も持ち込み済み。
マルチアンプで757Aレプリカを鳴らせる。
DF35はデジタル信号処理で、ユニットの前後位置の補正が可能。
757AレプリカのホーンはJBLの2397で、ドライバーは2420なので、
スロートアダプターを、2328と2327を使うことになり、
ウーファーのボイスコイル位置とドライバーのボイスコイル位置は、
さらに広くことになる。
これをデジタル信号処理することで、どんなふうに音が変化するのか、
そのことによって音楽の表情がどう変っていくのか。
これまでとは趣向をかえてみようと考えている。
1月の序夜から始まったaudio wednesdayも半年(六回)が終った。
7月からの後半のスタートでは、もう一度、序夜で鳴らしたメリディアンのDSP3200を鳴らす。
序夜でのDSP3200の音を聴いていて、
そして聴き終ってからも、あることを考えていた。
DSP3200にエラックのスーパートゥイーター、
4PI PLUS.2を足したらどうなるのか。
その音を想像するだけで、ひとりワクワクしていた。
不安もないわけではない。
DSP3200はウーファーとトゥイーターの時間軸を揃えてある。
そこにスーパートゥイーター、
それも放射パターンが大きく違うモノを加えて、
果たしてうまくいくのか。
やってみないことと、わからない。
ワクワクがドキドキに変っていくのだろうか。
パワーアンプ内蔵のアクティヴ型だが、相棒といえるメリディアンの218との組合せでは、スーパートゥイーターを足すこともさほど難しいことではない。シンプルで完成されたシステムでありながらも、こういった拡張もまた可能である。
7月の音は、1月の序夜を聴いた人にぜひ聴いてもらいたい。
Speaker System: Meridian DSP3200
Super Tweeter: ELAC 4PI PLUS.2
Power Amplifier: Accuphase A20V
D/A Converter: Meridian 218
ソーシャルメディアを眺めていると、
時々、ファッションモデルと女優の比較写真が表示される。
ファッションモデルも女優も、同じドレスを着ているから、
その着こなしの違いが、はっきりと出ている。
こうも違うのか、
と一流のいわれるファッションモデルの着こなしは見事だ。
ドレスが主役なのか、着ている自分が主役なのか、
その意識の違いも関係してのことなのだろうが、
それにしても女優の着こなしは……、そんなふうに感じてしまうほどだ。
こんなことを書いているのは、オーディオ評論家は、
立場としてどちらなのか、だ。
スピーカーというドレスを、どう鳴らすのか。
再生音に存在しないものについて考えるということは、
再生音にだけ存在するものについて考えることでもあり、
こんなことを考えなくても、
スピーカーから鳴ってくる音を聴くことはできる。
むしろこんなこと考えずに聴いた方がいいに決まっている。
そんなことはわかっていても、
それでいいのかとも、また思ってしまう。
自己模倣という純化の沼にはまってしまったら、
心に近い音には近づかないだけでなく、
気づきもしないかもしれない。
しかも、自己模倣という罠は、
案外心地よいのかもしれないから、やっかいだと思う。
ステレオサウンド 127号のレコード演奏家訪問は、長島先生だった。
ここで、菅野先生と長島先生が語られていることは、
まだ読んでいないという人はぜひ読んでほしいし、
オーディオを介して音楽を聴くという行為で、
大事なことはなんなのかを感じとれるはずだ。
とはいえ、ここで書きたいのはそういうことではなく、
アナログプレーヤーに取り付けられているトーンアームのことだ。
以前別項で、SMEのSeries Vは、
長島先生のアイディアだろう、と書いた。
だからこそ長島先生は、すぐにSeries Vを導入された。
なのに127号の写真をみると、
トーンアームがSeries Vではなく、3012-Rだった。
なぜSeries Vではないのか、
なぜ3012-Rなのか。
いまとなっては、その答をきくことはできない。
それでも問い続けているからこそ、いまこれを書いている。
2月に届く予定だった「「“盤鬼”西条卓夫随想録」が、
ようやく届いた。
遅れた、といえばそうなのだが、
隔月刊となったラジオ技術が、
ほとんど不定期刊行になってしまっているのだから、
6月に届いたのだから、
予想よりも早かったぐらいに受け止めている。
「随想録」と「私の終着LP」は、
ラジオ技術掲載時に読んでいる。
それでも、こうやってまとめて、そしてあらためて読めるのは、
やはりありがたいことである。
昨年、休刊になったレコード芸術が、
今年、オンラインで復活する。
時代が違う、
レコード芸術とラジオ技術という掲載誌の性格の違い、そんなことよりも感じるのは、書き手の覚悟の有無である。